古代近江の国衙跡、思い出の広場。
近江国庁跡の特徴
再現された建物や説明パネルで往時の雰囲気を感じられます。
古代近江国の政治、経済の中心地としての歴史を実感できます。
子どもたちが遊べる広大な跡地で、安心して過ごせる場所です。
宅地化の波に呑まれて久しい、瀬田唐橋から東に1km余りの台地上に遺っている古代近江の国衙(律令政府の出先機関)跡。復元された築土塀や官衙風の休憩施設には、何か中途半端なものを感じざるを得ませんが、それ以外には石碑や申し訳程度の案内板を除いては一切何も設置されていない広大な空地状態。(構造物ではないが、建物跡を示す杭や、門の復元基壇はあります)旧東海道が北側を通過しているが、史跡として積極的に案内・発信されている様子もなく、知る人ぞ知る的な風情であり『ツワモノどもが夢の跡』に通ずる良さはあります。ただ良きにつけ悪しきにつけ、観光地化され俗化されていないことはある意味喜ばしいことかも知れませんが、国から古都指定を受けている大津市内にあって”近所の公園”レベルの維持管理状況なのは、正直寂しいなぁと感じました。
いつも、近道にこの広場を通らせて貰ってます😙月の輪から歩いて帰って来た時には、足腰が疲れて座りたかったので、近くのエフマートでパンと飲み物を買ってこちらの屋根付きの場所で食事を取らせて頂き、助かりました🤗家までの残りあと少しの英気を養う事が出来ました😚
広めで子供とキャッチボールとか良さげでしたが可能はわかりませんf(^^;
1964年に団地の建設に際し発掘調査が行われ近江国府が発掘された事でそれまで謎だった国庁(国司が政務を執った国府の中心)が初めて確認されました。その特徴的な配置(平城京の第二次大極殿と朝堂院と共通点が多い)から、それ以降多く国府(国庁)跡の遺跡が次々と発掘されるきっかけになった記念すべき遺跡です。正殿などの礎石建物跡は後世の耕作で上部が削り取られており礎石自体は見つかっていませんので、ほぼ平な所に建物跡が示されていますが、東隣の区画が基壇、築塀や門、掘立柱建物跡などが復原されていて一見すると其方がメインと勘違いしそうですのでご注意を。遺構は前後2時期に区分され、前期は奈良時代中頃、後期は同時代末から平安時代初期以降で10世紀末頃までは存続したと考えられています。史記『扶桑略記』には天延四年(976年)の大地震で30棟もの建物が倒れたとの記録が残っており多くの建物があったようです。近江国は大国だったので常勤550人ほどで政務を行なっていて国司は9名体制でした。『長屋王の変』でも有名な藤原武智麻呂(藤原南家)が国司のトップの「近江守」を務めたこともありました。旧東海道から案内すらない人家の細い道を進むと団地とのフェンスで行き止まりになる右手前に3台程の駐車スペースがある程度の所で見学者ウェルカムとは程遠い感じでした。(団地側からはフェンスで車は通れません)国衙エリアは公認なのか放任なのか分かりませんがパターゴルフをする多くの人達が占領していて見学できない状況だったのにはビックリしました。ボール遊び禁止などの注意書きも無かったので問題外なのでしょうね。自宅近くの公園としての評価なら5★です。
何もない。近隣の住民か犬と戯れていた。が、整備されている。目をつむると国衙の建物群が目の前に現れるよう。
古の近江国(滋賀県)の国衙(国庁)跡、住宅地に佇むその広大な跡地に驚かされます。
広く何も無い所ですが、車は一切入れないから、安心して子供を遊ばせるので、いいです。
休憩場所にはいいところ。しかし車で来ても駐車場なし。
かなり広大に遺跡として残されて感動です❗ありがとう😃ですね✨柱跡や建物らしき物が復元されています。
名前 |
近江国庁跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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再現された建物があり、説明パネルもあるので往時の雰囲気は感じ取れます。暖かい季節の休日だったら子供連れの人などで、くつろげる感じです。