春の水口城、桜と歴史が共演。
水口城跡の特徴
歴史ある水口城跡は、学校や住宅街に囲まれた素敵な散歩道です。
春の桜が美しく、水口城と絶景のコラボレーションが楽しめます。
家光の宿所として築城された、見ごたえある小藩の歴史を感じる場所です。
🌸を観に行きました。城内へ渡る橋は工事中で入れませんでしたが、お堀周辺を、散策しながらゆっくり出来ました。
学校や住宅街の中にあり、敷地内にも学校のグラウンドがあります。再建された建物で内部は資料館になっています。訪問した際は橋が老朽化の為、通れなくなっており学校のグラウンド側から回って入りました。水口城資料館の入場料は200円です。 水口城の御城印もこちらで購入出来ます水口歴史民俗資料館との共通券は 300円でした。水口歴史民俗資料館は歩いて行ける距離ですので、お時間があれば共通券の方がオススメです。
あらま。見た目城跡、いい感じに、見えるのだけれど、出丸だけで、コンパクトに、なったのね。この橋渡るべからず、急がば回れ。天守に観まごお、乾矢倉の改築資料館に、満足。安心価格に、朝一だったので、話し好きの受付のおねいさんと、会話。あとで、行く、岡山城の行き方、駐車場も教えてもらった。本丸堀沿い、ぐるり一周、まわれます。旧本丸は、ほぼ、グラウンド、高校生達よ、練習がんばれ。挨拶ありがと。
出丸部分が石垣で囲まれ天守風の資料館がある近隣の城跡についての説明があり最初に訪ねておきたい本丸は野球グラウンドとなつているが周囲は水堀に囲まれているので散歩するのに快適だった乾櫓台周辺は石垣で囲まれており見所となっている。
石垣は出丸部分と乾御矢倉部分を残し、本丸御殿は一部を残して撤去され、旧本丸は学校敷地となり、現運動場となっている。水堀埋め立てなどの意見も出された様ですが、将軍家宿館遺跡としての価値が評価され、滋賀県の史跡に指定、保存整備の関心が高まった。石垣の遺構が残る出丸跡を整備修復し、廃城後に民家へ移築されていた本丸乾矢倉を二階造りとして再移築し開館。なので資料館は、木造2階建の復興二重櫓です。中に入ると木造の柱がなかなか見応えが有り、小さいながら資料も充実しています。入館料は200円と良心価格なので、是非是非ご入館下さいませ。
雰囲気の良い城跡です。濠も空壕ではなく水をたたえ通行は禁止ですが橋も良い味わいを出しています。東海道の要所で軍事的目的だと思っていましたが、ここに関しては将軍家光の宿館で京都二条城をモデルとした、おそらくは豪華絢爛な館であったことに驚きました。周辺は交通量が若干多い幹線道路と住宅がありますが、堀周辺は桜が植えられているので花の季節も良いでしょうね。
真田戦記水口城滋賀県甲賀市水口町本丸4−80昨年の暮れに行って来ました。水口には水口岡山城がありましたが、廃城となり江戸期に入り徳川家光の上洛の際の館として築かせたのが最初です。作事奉行は小堀遠州。1682年に加藤氏が2万石で入り水口藩となります。本丸御殿は家光上洛以後使われることなく解体、明治維新の後、城郭は解体、旧本丸は学校敷地となり、隣接の水口高校のグラウンドになっています。
『お城EXPOin甲賀』の流れで見学に。濠と石垣の一部が残っていて、資料館が角櫓として建っています。資料館は靴を脱いで上がる方式で、内部は木造りになっています。お城があって、濠もある街はやはりいいですね、それだけで趣があります。
元々は家康が上洛する際に立ち寄る用に新しくした城でしたが、家光が一度来たくらいの勿体ない施設。その為にその後は加藤嘉明の孫がこの施設を守る為に入城。しかし、守る為なので本丸側にはほぼ行かず状態だったそうです。現在は本丸側の施設は学校のグランドになってます。資料館として出城部分に櫓を移築して作られています。入城料は100円、水口城南駅にある歴史資料館とセットで200円でした。
名前 |
水口城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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水口城(みなくちじょう)を数年前に訪問👣致しました。水口城は、1634年、三代将軍徳川家光の上洛に合わせて宿舎として使用する為に築かれたそうです。作事奉行は小堀遠州、江戸幕府直轄で築城されました。実際に将軍が宿泊したのは1回のみでそれ以外は城番により管理されていました。1682年、加藤明友が2万石で水口城に入城し水口藩が成立しました。その後、鳥居氏が城主となりますが、再び加藤氏の居城となり幕末をむかえました。明治になり廃城となって後は、近江鉄道に石垣などが使われたそうです。本丸跡は、現在水口高等学校のグラウンドとして利用され、出丸付近の石垣・櫓・門等が整備されています。平成3年(1991)11月、御矢倉を模した水口城資料館が建設されそうです。水口城資料館駐車場🅿️(無料)も完備されています。是非とも、ご訪問👣下さい❗