織田信長が建立した伝説の寺院。
浄厳院の特徴
織田信長公の命で建立された浄土宗の中心寺院です。
六角氏の菩提寺として再興された歴史あるお寺です。
本堂の仏像拝観には要電話予約が必要です。
駐車場が少しわかりにくいですが地図があるので安心です。門が印象的で素晴らしかったのですが他の建物も美しかったです。
2026.1.15浄厳院はJR安土駅南口から徒歩10分強、明感を開山として、天正5年(1577)に織田信長公が建立、本尊に阿弥陀如来を祀る浄土宗の寺院です。元は佐々木六角氏の菩提寺である慈恩寺、信長は本堂を多賀村(現在の近江八幡市)の興隆寺から、本尊を犬上郡高良町の宝蓮院(現在なし)から移動した様です。総見寺でも思いましたが、ええとこから持って来て自分のものにしてしまうのは極めて合理的ですね。寺の歴史には信長の命により、浄土宗と日蓮宗の僧による仏教論争(安土宗論)が有ったのもこの寺院。日蓮宗敗北には信長の政治的思惑が働いたのでしょう。手入れの行き届いた境内、鐘楼、不動堂、釈迦堂、庫裡、北門と拝見させて頂きました。本堂、本尊は勿論、大きな楼門は甲良の大工の名品、国の重文指定。中は拝観出来ずも外からの無料拝観コースでした。
近江平野の田畑の中の細い道を進むと到着します。山門の前には小川が流れ境内にも引き込まれている様に思います。駐車場は広く無料です。お寺のHPには“天正5年(1577年)織田信長が、もと佐々木六角氏の菩提寺「慈恩寺」跡に、金勝山(現滋賀県栗東市)の浄土宗の僧応誉明感上人を招き、創建した浄土宗寺院です。天正7年(1579年)浄土宗と法華宗との間で「安土宗論」が行われたことで知られています。本尊の木造阿弥陀如来坐像、本堂、楼門等が重要文化財に指定されています。”とあります。
国際芸術祭を行っていると聞いて行きましたが、特に優れたアートはなくお寺本来の仏像や鬼瓦のほうが余程素晴らしいものでした。そもそもこの時期にやるのならBIWAKOビエンナーレと共催にするべきです。
滋賀県にある浄厳院は、織田信長が安土城築城と同時期に近江・伊賀両国の浄土宗総本山として創建した寺院です。もともと金勝山にあった浄土宗の寺院を信長が城下町に移転させ、菩提寺である慈恩寺の跡地に建立しました。浄厳院と織田信雄の主な関係⦿創建浄厳院は、織田信雄によって安土城築城と同時期に創建されました。⦿移転 もともと金勝山にあった浄土宗の寺院を信長が安土城下町に移転させました。⦿文化財浄厳院には、本堂、釈迦堂、鐘楼、桜門など多くの文化財が残されています。本堂と桜門は国の重要文化財に指定されています。安土宗論天正7年(1579年)に浄土宗と日蓮宗の間で『安土宗論』と呼ばれる法論が行われた場所として知られています。この論争は、信長の命によって浄厳院で行われ、浄土宗が勝利しました。背景には、織田信雄が日蓮宗の勢力を恐れて弾圧を意図していたとされています。
1577年、織田信長は浄土宗の僧・浄厳坊明感を安土に招くと信長は慈恩寺の旧地に一寺を開き、明感を開山として浄土宗寺院・浄厳院を建立した。駐車場・トイレは完備されている。
安土宗論が行われた寺院。法華宗と浄土門の宗論は浄土門の勝利に終わったが、法華宗を牽制するための、多分に政治色の強い顛末となった。堂宇は大きく、山門をはじめ見るべきものも多い。
「浄厳院現代美術展」が開催されている浄厳院を訪問しました。浄厳院は織田信長公創建の古刹で、楼門本堂、釈迦堂、不動堂などは、普段は公開されていません。
現代美術のイベントを見に行きました。お寺の雰囲気とよく合っていました。ご本尊の阿弥陀様もよかったです。
| 名前 |
浄厳院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0748-46-2242 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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沙沙貴神社の後にぜひ訪れてほしいお寺。観光客はほぼ浄厳院に来なくて寂しいです、自分も他県から来てますが落ち着いてゆっくりできるから好きな場所です。