佐々木六角氏の山城、石垣の迫力。
観音寺城跡の特徴
佐々木六角氏の居城として名高い観音寺城跡は、歴史的な価値が高いです。
日本100名城にも選ばれている、石垣の美しさが際立つ山城です。
整備が不十分ながらも、歴史を感じる石積みが至る所に残っています。
桑実寺ルートで来ました。上りが観音寺城、大石垣、観音正寺まで行って100分、下山は40分ほどでした。道中不安定な石段だらけなので、寺の入口の杖は必須です。それでも膝にかなりきましたが…麓の景色が楽しめるのは大石垣まで来てやっとです。それまでは森の中なので、雨のあとなどのぬかるみには注意が必要です。往復で一人しかすれ違いませんでした。
城址まで来てからが面倒な城ではあるものの、面倒さに見合った見ごたえです。観音寺城は西国三十三所観音霊場のうち三十二番札所の観音正寺が鎮座する繖山に築かれた山城です。源頼朝の覇業を支えた佐々木氏の流れのうち、京の六角堂頂法寺の近くに屋敷をかまえ、南近江を本拠とした六角氏の居城です。決して難攻不落の城ではなく、大軍に攻められるたびに六角氏は城から逃げ出しているのですが、敵が退けばまた観音寺城に復帰しています。当時としては非常に珍しい総石垣の城で、現存する遺構は多くはないものの、往時の威容は容易に想像できます。とりわけ追手道の奥にある大石垣は一番の見ものです。織田信長に攻められて大名家としての六角氏は敗亡したものの、交通の要衝を抑え、経済の自由化(楽市)によって経済振興をはかる領国経営は先進的で、その一面においては信長の先駆者であったとも言えます。城址の見学にはなかなか難儀します。安土城にほど近い桑實寺(本堂が国重文)、もしくは観音正寺からアクセスするのが一般的かつ手軽なものの、他に六角氏の御館跡の天満宮から追手道をたどるルートもあります。城そのものは入場無料なものの、桑實寺、観音正寺の境内地を経由するため拝観料がかかります。境内地と行っても大方は山道で、道ををたどる限り危ないところはないのですが、とりわけ大石垣周辺は道がかなり分かりにくくなっています。「観音寺城」と大書された幟のある平場の下が大石垣なのですが、そこから私が気がついた限りで四本の道が出ていて、二つは大石垣を見晴らすビューポイントに至る行き止まりの道、一つはかつての追手道をたどりつつ観音正寺表参道駐車場に至る有料道路に出る道(普通に歩けます)、もう一つが観音正寺の脇を抜けて本丸に至る道です。通って良いところは階段が整えられていたりテープが結びつけられていたりで人の手が入っていますが、山歩きに慣れていない方であれば迷ってもおかしくない整備状況です。この辺りは今後の改善に期待したいところです。
バスで観音寺口まで行き中山道道標まで徒歩30分、そこから追手道ルートで御屋形跡→大石垣→池田丸→本丸を登城。道標から本丸まで約1時間。このルートは登りが結構きついので下りには向かないと思う。本丸からは繖山三角点を経由して安土城考古博物館へ下山。下山も約1時間。山城なめてました。登城というより登山に近い。ただ、山道はある程度は整備されていてピンクの紐が結わえてある木を頼りに登る事が出来た。蜘蛛の巣が張っていないのもポイント高い。当たり前だけど山なので自販機もトイレもない。登る前にしっかり準備が必要。ルートですれ違った人は2人だけ。ハイキングコースとして穴場かも。
観音正寺の大きな杉の木の横にある小道から行くことができます。写真の通りとてもわかりにくいのですし道のりは険しいですので覚悟の上で向かってください入口の方に大石垣は草刈りを行う秋口に行くのが一番と言われ断念しました雨の後で地面も濡れており勾配のキツい道のりですので向かう方は十分に気をつけてください。
たどり着くには観音寺を通る必要がありますが、入口は少しわかりにくいです。受付の人が丁寧に教えてくれたのでわかりましたが、大仏の横の獣道を通って行きました。道の途中にも案内の立札はありますが、傾いていてわかりにくかったり、道自体もかなりワイルドな感じなので、注意して歩かないと迷ってしまいそうです。至る所に石垣や階段が見られ、非常に良かったです。
駐車場が狭くて入るのに待ったり方向転換したりで若干苦労した。石垣を使った初期の山城だと聞いたが、信長はこの山城を参考にして安土城の建造に入った?
佐々木六角氏の居城で国の史跡に指定されている。標高432.9m、南北に伸びる繖(きぬがさ)山に築かれた山城で麓から登ることもできるが途中まで車で上がり観音正寺の駐車場に車を停めて登ることもできる。観音正寺の入山料500円が必要となる。駐車場からの石段は急でお寺から城跡への道も急な石段を登る。大石垣と言われる史跡がありここからの眺めは素晴らしい。麓を新幹線が走り、戦国の遺跡と新幹線のコントラストも目を楽しませてくれる。
真田戦記観音寺城・観音正寺滋賀県近江八幡市安土町石寺2/23に観音寺城・観音正寺に登城致しました。八幡側からは通行止めの為、五個荘側から登りました。流石に広大でメインの本丸・大石垣・と幾つかの曲輪だけに留めました。城の概要ですが近江源氏の佐々木氏、後に近江守護六角氏の居城で、小脇館、金剛寺城を経て六角氏の本拠となりました。標高432.9m、南北に伸びる繖山の山上に築かれていて、南北朝時代の1335年頃、築城されたのではないかと言われています。周辺は琵琶湖や大中の湖、美濃から京都へ至る東山道、長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、それらを管制できる要衝に位置しています。応仁の乱以降も何度か攻城戦が行われています。永禄11年(1568年)、織田信長の上洛戦の後、開城の後、廃城となりました。
日本遺産で100名城に選ばれている、佐々木六角氏の山城跡です。私は観音正寺敷地内参道から行きましたので、駐車場代と観音正寺拝観料で合わせて800円はかかりました。山の下から上がる方法もあるみたいですが、私はこの行き方しか知りませんので、この行き方で敷地内参道から、1時間半位かけて(敷地内参道往復)だいたいの史跡(本丸跡、井戸跡、伝平井丸跡、伝池田丸跡、大石垣跡)が見れました。素晴らしい石垣等の数々や本丸跡近くにある井戸跡などは、神秘的であり、圧巻の景色でした。また大石垣跡からの近江地方を見渡す景色も素晴らしかったです。さすがは100名城に選ばれている城跡だと感じました。有難うございました。
名前 |
観音寺城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

令和7年3月14日初登城。JR安土駅の西口側にレンタルサイクル屋さんがあるのでそちらで自転車を借り桑実寺から登城しました。近江佐々木六角氏の居城としてありましたが1568年の観音寺城の戦いにおいて観音寺城の支城の和田山城、箕作城の落城の報告を聞き六角義賢、義治親子は甲賀に逃走し観音寺城は無血開城しました。織田信長が安土城をモデルとした城として石垣が素晴らしいです。登城は高取城と並ぶくらいキツかったですが久しぶりに登城した爽快感がありました。大石垣も良かったのですがとりわけ伝平井丸の石垣が素晴らしいです。