倭姫命ゆかりの加良比乃神社。
加良比乃神社の特徴
倭姫命が四年ほどいらした由緒ある神社です。
元伊勢とされる神社で歴史的な巡幸地です。
伊勢街道の常夜灯交差点を目印にお越しください。
倭姫命の元伊勢巡りで参拝しました。ここは藤方片樋宮の比定地となります。倭姫の旅の途中に荒ぶる神、イツハヤフル(伊豆速布留)に遭遇した、最大のピンチの地。倭姫は争うことなく、荒ぶる神へ数々のお供えをし、祭祀により和み鎮めたという伝承が残っています。御朱印は結城神社で頂けますので、結城神社にてお尋ねください。
からひのじんじゃ。二千年前に倭姫命が天照大御神を祀った『阿佐加乃藤方片樋宮』跡地に鎮座する神社。伊勢街道沿いに建つ青銅製の常夜灯から参道を進むと木々に囲まれた高台に境内が広がります傍には『片樋宮』の石碑が建てられています。社名の加良比(からひ)は片樋(かたひ)が転化したものだと言われています。片樋宮の跡地にアマテラスの首飾りの勾玉である御倉板挙神(みくらたなのかみ)、穢れを祓う神である伊豆能売神(いずのめのかみ)を祀ったのが当社の起源です。二神とも他では滅多にお目にかかれない神ですね。延喜式神名帳に名を載せる式内社であり千年以上の歴史を持つ古社になります。
この辺りの地形がかつて潟干だったので、その潟干(がたひ)から「からひの=加良比乃」と名付けられたらしい(『伊勢旧街道を歩く』より)。
加良比乃(からひの)神社の社殿では、伊勢神宮の式年遷宮の際の古材が使われています🍀平成8年に内宮の外幣殿がいっていまして…今日はご挨拶に行って参りました🌸社殿だけではなく、鳥居も神宮と同じ神明鳥居⛩とってもキレイな境内でステキな神社さんでした🌱- 伊勢むすび工房 めぐみ -
伊勢神宮にたどり着く前に、倭姫命が四年ほどいらしたお宮です。歴史が感じられる空間です。地域の方々が交代でお掃除したり管理しています。このことから地域に根付いた氏子に大事にされている神社です。
垂仁天皇御宇皇女倭姫命天照大御神を奉戴し御廻歴の際、此の所に神殿を建築して鎮座し給う。此の宮中水利不便なるにより樋を以て通す故に、片樋宮と称し奉る。4ケ年を経て、大御神様の神託ありて他所に遷座し給う。その宮跡に御倉板舉神 伊豆能賣神二柱を鎮座して、加良比乃神社と称した。明治40年境内神社神明宮など四社を、また明治42年に同稲荷社を、明治44年須賀神社を合祀した。
確かに伊勢街道からの入り口が分りにくくて通り過ぎてしまったり、車が結構通るのでちょっと入り辛い面はあります。中に入ると、伊勢神宮から拝戴したという本殿は荘厳で素晴らしい雰囲気です。こちらの春秋大祭、新嘗祭は礼服を着た役員の方々がたくさん参列していて、近くの須賀神社とは雰囲気がずいぶん違いました。でも、正月の時は自分にも色々振舞ってもらえたり、自分の黒紋付姿を褒めてもらえたりもして良かったです。
倭姫命の巡幸地(元伊勢)とされている神社です。昔名「藤方片樋宮(ふじかたのかたひのみや)」と言います。拝殿の奥の本殿は、非常に立派で荘厳な雰囲気があります。御祭神の1柱「御倉板擧之神(ミクラタナノカミ)」をお祀りしている神社は、非常に珍しいです。
加良比乃神社(からひのじんじゃ)御祭神は御倉板擧神、伊豆能売神、天照皇大御神、大山祇神、大物主大神、水波能売神、宇迦之御魂神、建速須佐之男命御配神として、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊、天之穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、市杵島比売命、 多岐都比売命、天児屋根命、応神天皇御由緒当社は垂仁天皇の御代皇女倭姫命が天照大神を奉戴し御廻歴の際即ち大御神の御神記に準しこのところに神殿を建築して鎮座したまう。時宮中水利不便であることから桶を以て通ず故に「片桶宮」と称した。四ヶ年を経て又御神記あり他所に遷座したまう。その宮跡に御倉板擧神、伊豆能売神を祀り「加良比乃神社」と称した。以来神威盛なるをもって土地の人々が産土神として崇敬した。享保九年(西暦1724年)京都北野勅願所清和院権僧正より縁起書の寄進あり又後西天皇の皇女宝鏡寺法親王より額面片樋宮その他の寄進あり。明治二年三月明治天皇伊勢御巡幸の砌奉幣使参向幣饌料献備あり。昭和二十五年近隣の火災飛火により社殿炎上し直に拝殿(仮本殿)を造営し平成八年神宮より御遷宮徹下内宮外幣殿を拝戴し正本殿として造営された。元伊勢の一つ。倭姫命世記にある「阿佐加藤方片樋宮」(あさかのふじかたのかたひのみや)とされる神社。伊勢街道から直交した細い参道と思われる道を奥に進むと岡の上にひっそりと御鎮座しています。石造の鳥居をくぐり手水舎脇を過ぎると地形を活かした石段の上に社が見えてきます。アルミサッシは鍵が掛かっていて賽銭箱への投入口が有りました。味気ない拝殿に興醒めしましたがガラスを通して奥に神明造の社殿が見えます。拝殿の外側をぐるっと回り込むと皇大神宮(内宮)と同じ京呂組の建築様式の社殿があり元伊勢である由縁を確認出来ました。この社は平成8年に皇大神宮(内宮)の外幣殿を移築したものです。敷地の外へ出た所に参道や駐車場の場所を説明する案内図が有ります。
| 名前 |
加良比乃神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=2927 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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書にて「加良比乃神社」をしらべてみます___________❷【参考 特撰神名帳 1925年度版】加良比乃神社【祭神】 甘美乾飯根命(うましひいいねのみこと)『日本書紀』の雄略天皇17年春3月の条によりますと、天皇が土師連(はじのむらじ)らに対し、「朝夕の食事を盛るための、清らかな器を献上せよ」と命じられたとあります。これを受けて、土師連(はじのむらじ)の祖先である「吾笥(あけ)」という人物が、伊勢国の藤形村(などから、腕の良い土師(土器作りの職人)を呼び寄せ、彼らが作った器を献上しました。これら特定の職人集団の民部(かきべ・私有民)は「贄土師部(にえのはしべ)」と呼ばれています。この加良比乃神社がまさにその「藤方村」に鎮座しており、乾飯根命(いいねのみこと)を祀っているという点から考えますと、藤方村に住んでいた土師(はじ)氏の一族が、その祖先である乾飯根命(いいねのみこと)を祀ったものであることは明らかです。[祭日] 4月1日[社格] 村社[所在] 藤方村(安濃藤水村大字藤方)_____________❶【参考 伊勢国誌 1972年版】藤方片樋宮垂仁天皇18年、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」は鈴鹿郡の「奈具波山(なぐはやま)」から、「藤方片樋宮(ふじかたのかたひのみや)」へと遷座され、四年間鎮座されました。その頃、「阿射賀嶺(あざかのみね)」には「伊豆速振神(いづはやぶるのかみ)」という荒ぶる神がいて、大雨を降らせて稲を台無しにし、人々をひどく恐れさせていました。「倭姫命(やまとひめのみこと)」は「大若子命(おおわかこのみこと)」を通じて、この事態を朝廷に訴え、大蛇退治の許可を求めました。しかし、朝廷からは「力で退治せず、そのまま静めなさい」との勅命が下りました。そこで「倭姫命」が深く神に祈りを捧げ、誓いを立てられると、大蛇は頭を垂れて山を降り、麓にある「底なし池」と呼ばれる池へと鎮まりました。倭姫命はこの大蛇を「龍天明神(りゅうてんみょうじん)」として祭り納めました。これが、現在の浄眼寺(じょうげんじ)の境内にある「龍天明神の滝」の由来です。また、「小阿射賀(こあざか)」にも龍天明神があります。この村の奥山には、長さが五十間(約90メートル)ほどもある池がありました。猿田彦大神がこの池で(水に手を触れて)遊んでいたところ、貝に手を食いつかれてしまい、浮きつ沈みつしながら姿を消してしまわれました。そのお姿を「貝べら神」と呼ぶことが古い記録に見えています。そのような縁(ゆかり)があるため、この地では毎年三回、魚類を供えて祭りを行っているのです。