飯高山の本堂まで200mの探訪!
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| 名前 |
飯高城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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比高 約50m主郭までの距離 約200m所要時間 10分~駐車場 有現在の飯高山萬勝寺の本堂から東に200mほどの場所に築城されている。萬勝寺は前身が天台宗満昌寺であり、この時代に岩村遠山氏と明知遠山氏の庇護を受け繁栄していた。江戸幕府の旗本となった明知遠山利景は通説では遠山景行の二男とされており、また満昌寺の住職として自休と名乗る時代もあったことが知られている。元亀3年に景行が上村合戦で命運が尽きてしまったので、この際に利景は還俗し民部利景と改めたようである。この後天正2年に武田勝頼が東美濃に侵攻した際に満昌寺は焼き討ちされ全焼してしまうが、江戸時代に入ると利景の遺言によって満昌寺境内に新たな堂宇が建てられ、臨済宗妙心寺派の萬勝寺として現代まで続くこととなる。中世における満昌寺については今の堂宇より200mほど西にあったようで、この方向から見ると飯高城跡に鎮座する鎮守白山神社は北東背後の山上に位置する。つまり満昌寺時代の鬼門方向に城が築かれている。近年行われた岐阜県古代・中世寺院跡総合調査により萬勝寺(満昌寺)のかつての寺域の広さが認識されるようになったが、この飯高城跡も寺域に含まれているのだろう。城下を通る東海自然歩道は岩村~馬場山田(萬勝寺)~田沢~杉野(安住寺・遠山景行墓所)~明知城を繋いでおり、古の街道もほぼこのルートと思われる。城跡は主郭に至る各尾根筋を堀切、竪堀、切岸で処理し敵の侵入を遮断している。明知城のつくりに似ている感がある。