古代寺院と貝塚、歴史の魅力。
俵野 廃寺跡の特徴
浜詰地区から海岸を歩いて訪れることができ、自然が楽しめます。
丹後地域で唯一、奈良時代の寺院跡の魅力が堪能できます。
白鳳期の古代寺院で、貴重な歴史を感じられる観光地です。
古代丹波歴史研究所の伴とし子先生の投稿を見て訪問しました。これから廃寺のことを勉強したいと思います。
白鳳期の古代寺院とされ、丹後地域では、奈良時代の丹後国分寺跡と俵野廃寺の2箇所のみとなり、他に例はない。古代丹波歴史研究所の所長、伴とし子先生によると、丹後最古とされ、7世紀後半の創建。白鳳~奈良時代初期、650~720年頃。柱の心礎となった大石などが出土したとのこと。発掘された軒丸瓦は、特殊な模様とする。手裏剣のような絵柄を採用しており、近畿北部に見当たらず、珍しい。付近は、木津という地名を持ち、古代港湾が存在した場所であり、丹後唯一の古代寺院が存在した。狭い場所へ寺院が造られ、例えば、すぐそばには丘上があり、こういった場所であれば、水害にも強く、周辺を見渡せ、人々の目にもよく映るにも関わらず、川のすぐそばが選ばれている。改稿を検討中・・・・現地は、指摘のような、谷となっている地形であり、南北も視界の先に山が見える。海のそばとするが、長い砂浜が続くため、地形としては、内陸側に潟湖を持つ。奈良時代がどういった状況にあるか想像できないものの、寺の手前には、水辺が見えたのではないかと想像したくなる。https://kodai.holy.jp/blog2024.html丹後最古といわれる七世紀後半に創建された「俵野廃寺跡」は、京丹後市網野町俵野にあります。礎石調査の専門家岩井隆二氏により、白鳳~奈良時代初期(六五〇~七二〇年頃)とされます。『俵野の歴史』(俵野区発行)によると、大正2年に、俵野の耕地整理組合の事業として、俵野川の改修工事がおこなわれ、通称「塔ノ坪」といわれるところから丸木柱の根部5本、柱の心礎となった大石、軒丸瓦、軒平瓦、鬼瓦、須恵器など多数出てきました。鬼瓦には人面のようなものがみえ、軒丸瓦(1式)は、複弁八葉蓮華文、縁に三本一組の鋸歯文が入るもの。また、軒丸瓦(2式)は、七葉の花弁の文様で近畿北部にも同系列のものはなく珍しいものといわれます。大石は、直径約180㎝、厚さ58㎝。ほぼ円形の自然石の上面が平らに削られ、中央に径15~16㎝、深さ16㎝の円筒状の穴があけてあったとのこと。俵野廃寺は古代丹後の繁栄を伝えてくれる重要なものです。http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu6/19murata.pdf丹後の「謎」の古代寺院~俵野廃寺新発見の軒丸瓦と新たな謎村田和弘・俵野廃寺、飛鳥時代では唯一・大正11年、俵野川流路変更工事で発見・昭和24年、護岸工事、柱根数本と鬼瓦が発見・昭和58年、重弧文軒平瓦、布目の平瓦、須恵器が発見・平成18年、発掘調査(1~3次)、地域防災対策事業・1次=3箇所試掘、多量の瓦が堆積する層を検出・2次=瓦堆積を拡張、平安、飛鳥、土器出土・3次=護岸施設の杭列を検出・字名=塔の坪、寺口、寺屋敷、防垣。
| 名前 |
俵野 廃寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu6/19murata.pdf |
| 評価 |
4.8 |
| 住所 |
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浜詰地区にも貝塚や竪穴式住居に古墳などがありますが…こちらの地区も海岸から歩いても15〜20分位です。大きな楼閣建築があったことが証明されていることは、この地区にも大きな豪族?当主がいて村があったと考えられますね。今よりも…発展していたのではないでしょうか? お寺は代々引き継がれる建物ですが…当時は川よりも砂が村を潰したと…私は考えます?