越智氏の氏神、榊伝説の神社。
天津石門別神社の特徴
天津石門別神社は御神体が榊の珍しいお宮です。
越智氏の戦場の菩提寺が境内にあります。
神社の近くには大和豪族の居館跡があります。
式内社・天津石門別(あめついわとわけ)神社祭神「天手力男(あめのてぢからお)神」鎮座地 : 奈良県高市郡高取町大字越智字大西85貞観17年従四位に叙される。すぐ東にある出屋敷山を神体山とする。本殿は無く、原初的な祭祀形式を保っています。この地の豪族・越智氏が九頭神を崇めていた事から中世以降九頭神を祀って来ましたが、明治になって高市郡に所在した式内社・天津石門別神社を此方のこととして治定されました。此方は天津石門別と天手力男を異名同神と考えているのでしょうか。古事記ではこの二神は別神としていますし、天津石門別は異名が櫛石窓神:くしいわまどのかみ奇石窓神:くしいわまどのかみ豊石窓神:とよいわまどのかみ豊磐間戸命:とよいわまどのみこと櫛磐間戸命: くしいわまどのみことと伝わり『古語拾遺』によると、豊磐間戸命と櫛磐間戸命は太玉命の御子神とあります。志賀剛博士も「式内社の研究」において天津石門別を天手力男とするのは誤りと明確に述べられていますし、すぐ近くを流れる曽我川の下流の橿原市忌部町には太玉命を祀る式内名神大社・天太玉命神社が鎮座しており、近くの橿原市光陽町には弥生期の高地性集落遺跡が検出された忌部山もある事から社名通り天津石門別神を祀る神社とする方がしっくりくる気がします。
越智氏の戦場の菩提寺で西側にお屋敷と字名があり、居館遺跡があれば大和豪族の居館跡···いいですね😄
越智様のお屋敷だったそうです。ご栄光にお参りさせていただくことができて心から嬉しかったです。
石垣に囲まれた榊を御神体とする珍しいお宮。マイナーだが、わるくない。タヂカラオが御祭神となっているがおそらく違う。スサノオか?神武天皇の聖蹟に入る前にご挨拶しておきたい大切なお社。
天津石門別神社(九頭神社)越智氏の氏神だったようです。
石垣に囲まれた榊を御神体とする珍しいお宮。マイナーだが、わるくない。タヂカラオが御祭神となっているがおそらく違う。スサノオか?神武天皇の聖蹟に入る前にご挨拶しておきたい大切なお社。
| 名前 |
天津石門別神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=34116 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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天津石門別神社(あめついわとわけじんじゃ)。奈良県高市郡高取町越智。式内社(小)、旧村社。【祭神】天手力男神【関係氏族】中世越智氏資料によると、土地では長く九頭神社又は九頭龍明神と称してきた。この地は中世大和豪族の雄たる越智氏の本領であった。九頭明神はその祖(越智氏)親家が戦場の守護神として之を尊崇し、元暦2年(1185)3月、平家を西海に討滅し、住地の越智に凱旋したときここに九頭神を祭つたとしている。天正17年(1589)8月26日、一族の内訌に乗せられて滅亡するまで、23代・四百年間、毎歳、社頭の料を奉献したと伝えられている。当地を拠点にした越智氏は伊予の越智氏(「小致命」を祖とする物部系氏族という)と関係があるとする説もあるものの、伝承や家系図などによれば大和国に居住した「源頼親」を祖とする氏族とされています。斉明天皇陵の「越智崗上陵」などに見られるように「越智」の地名は古く、件の越智氏はこの地名を苗字として名乗ったものでしょう。「大和誌」に「在所未詳」とあることから、近世期には在所不明の神社とされたが明治8年(1875)当社を天手力男命を祀る天津石門別神社と称すべき旨県より示達があり、社名を改め式内社とした。本殿はなく、これに代つて祝詞舎の奥には高さ七尺の石垣上に榊の大樹があり、それを囲んでほぼ三間四方に、周りに盾を立てた様な形で板石数枚を立てめぐらせてある。とあります。