西行法師のお墓で春を感じる。
西行墳の特徴
西行法師が入寂した弘川寺の歴史的な場所です。
美しい桜の下で西行法師のお墓を訪れました。
周囲には歌碑があり、静かに西行の世界を味わえます。
「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」桜の頃に伺いましたが、綺麗でした。
西行法師のお墓とされています。
和歌百人一首 西行法師 歸靈之所。
西行堂からさらに登って行くと西行墳があり、周囲に幾つか歌碑が建っている。1. 西行歌碑願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ金沢の歌人尾山篤二郎の揮毫2. 西行歌碑仏には桜の花を奉れわが後の世を人とぶらはば佐々木信綱揮毫3. 似雲法師自筆歌碑尋ねえて袖に涙のかかるかな弘川寺に残る古墳似雲法師は、西行の古墳を発見した僧で、後に「西行堂」を建立、また山の中腹に「花の庵」を建てて住んだ。4. 安田章生歌碑西行人のみたまつつむと春ごとに花散りかゝるそのはかのうえ 章生5. 阿波野青畝句碑 「花の庵」跡(西行墳からしばらく登る)に建つ碑。いくたびの春の思出西行忌 青畝。
西行法師のお墓。弘川寺境内から坂道を登った先にある。小さな塚だが、存在感がある。ちなみに、すぐそばに『似雲墳』というお墓もある。西行墳を発見した似雲のお墓であり、間違わないように注意。
西行法師は、1190年享年73年ここ弘川寺で亡くなっています。弘川寺の住職さんとの話では、当時のこの寺の住職さんにお会いに来た後、病気になられてしまったそうです。元気であったならば、そのまま藤原定家に会うために旅に出る予定だったそうです。その住職さんは、歌を詠むわけではなく、修験僧でしたが、昔からの友人で遊びに来たようです。住職は、900年ほど前の事をまるで数ヶ月前の出来事のように、私に話してくださったのは、嬉しかったと同時に、また、おかしくもありました(2015年3月)
西行法師のお墓。弘川寺境内から坂道を登った先にある。小さな塚だが、存在感がある。ちなみに、すぐそばに『似雲墳』というお墓もある。西行墳を発見した似雲のお墓であり、間違わないように注意。
願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎのもちづきのころいいじゃん。理想だけどね。是非ともお立ち寄りを。
静かに西行を感じ、思える場所です。
名前 |
西行墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
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西行法師は文治6年(1190)2月16日に弘川寺で入寂されたそうです。73歳だったそうです。法師の古墳を発見したのが似雲法師だそうです。