三村常春公の足跡を辿る旅。
三村城主・平常春公戦没之地の特徴
三村常春公の足跡を辿る歴史探索が可能です。
常春寺とセットで訪れることができます。
歴史的な背景を実感しながらの散策が魅力です。
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名前 |
三村城主・平常春公戦没之地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
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三村常春公の足跡を尋ねて,常春寺に続いて最後に訪問す。天正元(1573)年2月,府中城主・平(大掾)貞国は,斜陽となりつつあった常陸大掾氏の勢いを挽回せんと,小田氏勢力下にあった園部氏の小川城を攻め落とすべく弟の三村城主・三村常春に加勢を命じた。しかし,佐竹氏が園部勢を支援したこともあって戦は大敗。翌・天正2(1574)年,小田氏治の軍が三村城を攻撃。先の大敗によって寡兵となっていた三村勢は必死に防戦するも万策尽き,落城直前に常春公は4人の家来と共に城を脱出したが,城の東の高久保の地で乗馬が田の泥に足を取られ公は落馬。追っ手の小田勢を目にした常春公は「今日を限りに!」と叫ぶや自決した。25歳の若さであった。亡骸はその地に埋められ,今は五輪塔と傍らの椿の木が常春公のよすがを伝えるのみ・・・。場所は,常春寺より東へ田の畦道を直進。突き当たりを左へ,すぐに右へ折れて坂道を登って,常磐線に架けられた天神橋を渡ります。そこから右側を注意しながら進むと,下へ下る径が。落ち葉でつるつるしているので,注意しながら下っていくとやがて右へカーブする処に椿の木が見えます。しかし五輪塔はいずこ?代わりに「三村城主常陸大掾平常春公戦没之地」と刻まれた真新しい石碑が建っていました。後で調べると,五輪塔は最近,常春寺に遷されたそうです。まあ,これで良かったわけでありますが,そうと知っていたら,さっき,常春寺に行った時に五輪塔を探していたでしょうに。いやいや,またいつか,三村の地を訪問することがあるやも知れませんので,お参りはその時まで取っておくことにしましょうか。(2020.9記)