埼玉の高札場で歴史を感じる。
児玉村の高札場の特徴
児玉八幡神社境内の北西隅にあります。
埼玉県内に現存する数少ない高札場です。
高札場はこうさつばと読むそうです。
埼玉県内に現存する数少ない高札場だそうです。江戸時代には全国の村の町辻や広場に高札場が設置され、法度・禁令や罪状などを掲示していたそうです。
児玉村の高札場跡が児玉八幡神社境内の北西隅にある。本来あった場所(児玉往還児玉宿本町と連雀町の境あたりの児玉往還上にあった)にあるものではないが、説明板を建てて、その歴史的意義を参観者に周知させていることについて評価をしたい。 (再)
資料によると、旧児玉村の高札場で、現在は八幡神社境内の北西隅にあります。従来は本町と連雀町の境付近を通っている中山道脇往還川越道の中央にありましたが、交通の障害になるため現在地に移転されました。とあります。高札場は本庄市指定文化財です。
| 名前 |
児玉村の高札場 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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「高札場」は「こうさつば」と読むのですね。八幡神社境内の北西隅というか、県道175号線沿いにある玉蔵寺の石柱の隣にありました。土台を石で固め、その上を柵で囲み、内部に高札が掲げられるようになっていて、風雨を避けるために銅板葺きの屋根が設けられていました。今まで高札場跡を見たことはありますが、実物を見るのは初めてです。高札場とは、幕府や領主が決めた法度や掟書などを民衆に周知徹底させるために木の板札に書き、掲示しておく場所のことだそうです。かつては本町と連雀町の境付近を通っている中山道脇往還川越道の中央にあったそうですが、交通の障害になるため現在地に移転されたそうです。 元々は人通りのある賑やかな場所に置かれていたのですね。以下は、高札場脇にあった説明板の内容です。本庄市指定文化財 八幡神社の高札場江戸時代、幕府は法令を民衆に周知徹底させるために、板に墨で書かれた法令を掲示させた。これが「高札」で、それを掛けた場所を高札場と呼んでいる。村の中央や、名主の家の前など、人の目に付きやすい場所を選んで設置された。この高札場は児玉村の高札場で、従来は連雀町と本児玉(本町)の境あたりの街道上にあったが、交通の障害となったため、現在の八幡神社北西隅に移築したものである。この高札場は屋根が銅板葺きの切妻形式で、高さは三メートルある。材質は杉材で、 柱は三本。これに高札四枚を掛けたカギが残っている。これを囲んで高さ約一メートルの駒寄せを、立ちめぐらしている。本庄市教育委員会。