南部氏の城跡で歴史を感じる。
根城跡 本丸址の特徴
南部氏の居城である根城は、南北朝時代に築城された歴史的な城郭です。
檜皮葺きの平屋建ての御殿が復元され、独特の風情を楽しめます。
夏には史跡根城まつりで鎧武者の格好ができる、ユニークな体験が魅力です。
青森の歴史を紐解くことができます。城も時代によって違いがあり、また、南部藩は馬の生産も栄えた土地、馬との生活の特徴がありました。とても広く、きれいな草原のような雰囲気。まちなかにあるのに入ってみるとちょっぴり高台の不思議。お城の中は有料ですが、この期間は無料開放でした。
1334年に南部師行が築城したそうで、日本100名城です。1627年に国替えに伴って廃城となり、八戸は盛岡藩の南部利直が直轄地としたそうです。1664年に八戸藩が誕生して、ここから2km先にある八戸城で八戸藩としての活動が始まったそうです。城内は広大で、桜スポットとしても大人気です。
2025年8月の日曜日、八戸市の観光地めぐりで立ち寄りました。日本100名城のひとつですが天守や石垣は見られず、一般的にイメージされるお城の姿ではありません。しかしそうした根城築城の歴史的背景も含めて、中世の武士が暮らしていた館を忠実に再現した貴重な史跡です。特に工房などいくつかの建物の中には入ることができて、道具や調度品など、当時の様子を見ることができてタイムスリップした気分になりました。あとはもうちょっと駐車場が広ければ良いんだけど。日曜日だったせいもあってほぼ満車でした。
平日の午前に訪れました。広大な敷地に空堀や土塁が残り、現在は公園としての機能も有しております。そういった中でこの城跡の見どころは、有料エリアだと思います。本丸主殿や馬屋などは復元された施設ですが、マネキンや人形を配して生活感を再現しています。工房や納屋なども中に入ることができ、見ごたえがあります。1時間くらいで回れると思います。
2018年9月7日2018年9月6日-10日、仙台で開催される定禅寺ストリートジャズフェスティバル期間に合わせ青森県(浪岡城、弘前城、根城)、岩手県(九戸城)、宮城県(白石城)にある100名城、続100名城巡りをするため車中泊を含め4泊5日高速バス、レンタカー、在来線移動の旅青森駅前でレンタカーを借りて波岡城、弘前城、九戸城登城後移動◆ 根城とは1334年(建武元年)に南部師行が築いた中世の武家館(平城)。約300年間、八戸地方の政治・軍事の中心として機能した。復元建物によって当時の生活がリアルに体感できる北東北屈指の史跡。築城者:南部師行(南部氏の一族)構造:平城(丘陵上の館)遺構:主殿・馬屋・板蔵・空堀・土塁指定:国指定史跡(2006年)◆ 根城の特徴根城は「戦うための城」というより、中世武士の生活空間をそのまま再現した“館”の構造が特徴。主殿(復元) — 中世武家館の生活空間を忠実に再現馬屋(復元) — 南部氏らしい馬産文化を象徴板蔵(復元) — 物資保管の中心空堀・土塁 — 館を守る防御線広大な集落跡 — 武士・職人・農民が共存した中世の町並み復元の精度が高く、“中世のリアルな暮らしが見える城”として評価が高い。◆ 歴史1334年:南部師行が根城を築く南北朝期:北朝方として活動室町期:八戸地方の中心として繁栄1592年:九戸政実の乱後、南部信直が支配体制を再編1627年:八戸藩成立 → 根城は役目を終える江戸後期:廃城化1994年:主殿などを復元2006年:国史跡に指定◆ 見どころ主殿の復元 — 中世武家館の最高レベルの復元馬屋の復元 — 南部氏の馬文化を象徴空堀・土塁のスケール — 館の防御構造がよくわかる八戸市博物館と一体的な展示 — 出土品や南部氏の歴史を学べる。
1334年後醍醐天皇が鎌倉幕府滅亡(1333年)を受けて「建武の新政」を開始し、天皇親政による公家一統の政治を断行した年約700年前に八戸の寒い地方に多くの人が来ていたんですね。何年もかけて築城し資材も馬や牛で運ぶ苦労と食料事情も良くなかった時に大変な事も沢山あったでしょう。日本人として誇りに思います。レプリカでも造りは、しっかりしてました。
城の復元というと歴史的根拠無しのコンクリート製天守閣もあったりしますが、ここは天守以前の城の復元で潔いし興味深いです。天守と違いコケオドシは効いていませんがじっくりゆっくり往時に思いを馳せられます。観光に偏らず歴史に敬意を払った復元に地元の愛を感じます。
きれいな芝生の公園を通って有料エリアへ。料金所が閉鎖しているように見えて心配になりましたが坂をずんずん進んで門を通ると柵の内側にちゃんと料金所がありました。柵の中はお城というよりは館といった風情。大きなお屋敷と半地下の鍛冶場などが再現されていました。交通の便も悪くないし、雪が降り積もった頃に見に行くと綺麗だったのでは…と思いました。
南部氏史跡。百名城。2017年5月14日来訪。南北朝時代において、南朝方に与した、南部師行が築城した。南部師行については、甲斐国波木井の地頭職であったところ、1333年、後醍醐天皇の皇子義良親王を奉じて、陸奥国司として奥州に下向した南朝方の武将北畠顕家に従い陸奥に下向し、翌1334年、糠部郡八森に城を築き、この城が南朝の根拠地となることを願い、根城と名付けたという。南部師行は、糠部郡の郡代として、鎌倉幕府の北条残党の鎮圧や切り崩し等を行い、陸奥北部で南朝の勢力を広め、北畠顕家の留守の間は、多賀城を守る等の活躍をし、1337年には北畠顕家に従い、京に向けて出発し、途中鎌倉を占領、1338年1月には美濃国青野原(岐阜県大垣市)で北朝方を破るが、同年5月、和泉国石津の戦いで北朝方の高師直に敗れ、北畠顕家と共に戦死した。この頃の活動から、南部氏の惣領は、盛岡藩を立てた三戸南部氏ではなく、根城南部氏(八戸氏)だったともみられている。師行死後、1392年 南北朝合一により、南朝方の根城南部氏当主政光は、足利義満に仕えていた三戸南部氏当主守行の勧めで、北朝に帰順した。以後、根城南部氏は三戸南部氏の影響下に入る。三戸南部氏守行の江戸期に作成された業績は、秋田合戦に参加し、遠野、閉伊等に出征し、津軽安東氏と敵対して、北は外ヶ浜から南は岩手郡まで南部氏の勢力圏としたという壮大なものであるが、一次資料に乏しいものらしく、これは八戸南部氏(江戸期は遠野南部氏)に対し正当性の根拠とするためであった可能性があると思われる。三戸南部氏の影響下に入った根城南部氏は、政経の代から正式に八戸氏を名乗るようになる。戦国期には、南部氏の氏族の新田氏から養子として八戸氏を継いだ八戸政栄が、南部信直と九戸政実の家督争いにおいて、信直の擁立に尽力し、以後信直の右腕として活躍した。江戸期において、八戸氏は、遠野に移封され、以後世襲筆頭家臣となり、御三家のひとつとして続いた。根城は、史跡根城の広場として整備されており、東端に八戸市博物館が併設されており、駐車場もそこにある。土塁と堀により構成された縄張りは、築城技術が発達した戦国期の城とは異なる趣があり、また本丸等の建物が見事に復元展示されており、大変価値のある史跡だと思いました。
| 名前 |
根城跡 本丸址 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0178-41-1726 |
| 営業時間 |
[金土日火水木] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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中世の南部氏の城跡。ボランティアガイドの説明で良く理解できました。広々として気持ちの良いところです。(2019年5月)