倭姫命ゆかりの隠岡遺跡散策。
倭姫命宇治山田陵墓参考地の特徴
隠岡遺跡が近くにあり、見晴らしの良い高台に位置している歴史的な場所です。
宮内庁による管理の下、倭姫命の墓として重要な文化財です。
駐車場の案内が不明な場合は、近隣の公園を利用することが可能です。
駐車場がよく分からなかったので、お近くの公園の駐車場を使わせて貰いました。付近が住宅街なので、訪れた時には配慮してあげて下さい。
立ち入り禁止、宮内庁。
尾上御陵(おべごりょう)宮内庁により「宇治山田陵墓参考地」(被葬者候補:第十一代垂仁天皇第4皇女倭姫命)として管理されている。 第10代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継ぎ、天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建し、斎王の起源とされる。後に、東夷の討伐に向かう甥の日本武尊に草薙剣を与えている。
名前 |
倭姫命宇治山田陵墓参考地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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倭姫命の墓とされているがすぐ近くにある隠岡(かくれがおか)遺跡の居住跡や掘立柱建物が幾つもあった様に古代からこの地は高台で見晴らしも良く、位の高い人達が住んでいたと考えるのが妥当である。外宮の禰宜であった度会氏の一族が住んでいたとの記述も見受けられる。となればこの地域の豪族の古墳であり倭姫命を結びつけるのは些か強引でもある。志摩市磯部町の伊雑宮近くに倭姫命に関する墓があり楠木の下から勾玉や鏡が大正12年に発掘されたがすぐさま官憲が強引に回収した経緯があった。大日本帝国時代の国会で承認された倭姫宮が建設中だった為、倭姫命の墓が磯部町だったとなると不都合であったに違いない。以上の理由により「参考地」と曖昧な名前になっていると思われます。