倭姫命のお墓で自然満喫。
倭姫命宇治山田陵墓参考地の特徴
隠岡遺跡が近くにあり、見晴らしの良い高台に位置している歴史的な場所です。
宮内庁による管理の下、倭姫命の墓として重要な文化財です。
駐車場の案内が不明な場合は、近隣の公園を利用することが可能です。
◎倭姫命のお墓(古墳)倭姫命は、三種の神器の一つ「八咫の鏡」をお祀りする場所を探し求めて、全国を旅したお方です。⚫︎皇族の墓なので宮内庁管理です。⚫︎被葬候補者: 倭姫命⚫︎遺跡名: 「尾部古墳」⚫︎通称: 「尾上御陵」「倭姫命御陵」⚫︎平安時代の書物に尾部御陵の記事あり。⚫︎明治時代の発掘で銅環・鈴・須恵器等の出土⚫︎1928年(昭和3年)宮内省により陵墓参考地に治定される。
倭姫宮から歩いて行ける距離にあったため、その足で伺いました。車の往来が多い道路から少し外れた、ゆったりとした空気が流れる場所に位置しています。石碑が立った場所から少し登った場所に柵のような場所があり、そこから先は立ち入れないようになっています。立ち入り禁止ではありましたが、近くまでは進めるようになっていました。雰囲気だけは少し感じ取れたように思います。
倭姫宮から歩いて行ける距離にあったため、その足で伺いました。車の往来が多い道路から少し外れた、ゆったりとした空気が流れる場所に位置しています。石碑が立った場所から少し登った場所に柵のような場所があり、そこから先は立ち入れないようになっています。立ち入り禁止ではありましたが、近くまでは進めるようになっていました。雰囲気だけは少し感じ取れたように思います。
元は神宮(下宮)を護るための広大な祈禱寺領であったその場所に、倭姫の陵墓が設営されていると聞いた。宇治領山田領を分け隔てるその境に当たる場所に倭姫の陵墓。
ひっそりとした佇まいの陵墓で春には桜が咲き、秋には紅葉や大きなどんぐりがたくさん実ります。
倭姫さまのお墓ではないかと考えられているそうです。なので「参考地」、だけど宮内庁管理。誰~も居なくて、ちょっと不思議というか、怖い気がしました😅静かにそっとお参りしてきました🙇♀️
倭姫命の墓とされているがすぐ近くにある隠岡(かくれがおか)遺跡の居住跡や掘立柱建物が幾つもあった様に古代からこの地は高台で見晴らしも良く、位の高い人達が住んでいたと考えるのが妥当である。外宮の禰宜であった度会氏の一族が住んでいたとの記述も見受けられる。となればこの地域の豪族の古墳であり倭姫命を結びつけるのは些か強引でもある。志摩市磯部町の伊雑宮近くに倭姫命に関する墓があり楠木の下から勾玉や鏡が大正12年に発掘されたがすぐさま官憲が強引に回収した経緯があった。大日本帝国時代の国会で承認された倭姫宮が建設中だった為、倭姫命の墓が磯部町だったとなると不都合であったに違いない。以上の理由により「参考地」と曖昧な名前になっていると思われます。
駐車場がよく分からなかったので、お近くの公園の駐車場を使わせて貰いました。付近が住宅街なので、訪れた時には配慮してあげて下さい。
立ち入り禁止、宮内庁。
| 名前 |
倭姫命宇治山田陵墓参考地 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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地元の方に案内していただきました。倭姫命は2000年以上続く伊勢神宮の創設者ですが、彼女自身は神様ではなく『ヒト』であったために以前は奉られることはなく、明治以降に地元の人らの強い嘆願により、伊勢神宮の創建者という素晴らしい貢献に見合った扱いをされるべきと、倭姫命のお墓であった現在の御陵が認められたそうです。正面の扉から見て左奥を見ると少し盛り上がった丘のようなものが見えます。そこがもともとのお墓とのことです。神社の敷地内にあるので、全体は神宮司庁ですが、この御陵一部だけは敷地内にあっても皇族のお墓のため宮内庁管理です。その後、1923年に御陵から近いところに現在の倭姫命宮が建てられました。静かで良いところです。これだけ大きな伊勢神宮の創設者が最近まで祀られていなかったというのは驚きです。素晴らしいお話を聞くことができて地元の方に感謝です。