田園の守護神、那良原比女命。
奈良波良神社の特徴
伊勢神宮の摂社26社の中で、歴史的にも重要な位置にある神社です。
御祭神の那良原比女命は、田野を守る神として信仰されています。
均整のとれた摂社と末社が整備され、訪れる人を魅了します。
伊勢の神宮125社巡礼中 田園が広がる中に鎮座 車の駐車は周辺に停めました。
伊勢神宮皇大神宮の摂社27社のうち第22位で、御祭神は大水上命の子で灌漑や神田、楢原の守護神とされる那良原比女命です。この女神は地域の産土神であり、国津神であり、倭姫命の旅の苦労を慮った那良原比女命は、倭姫命に守護地を差し出したという言い伝えがあるようです。鎮座地の宮古は豊受大神宮(外宮)の神田である「宮古御園」のあった場所といわれています。創建年代は第11代垂仁天皇の御代、第四皇女の倭姫命が定めたといわれます。中世には廃絶しましたが、江戸時代(寛文3年(1663年))に再興されました。
内宮の摂社とのことでお参りしてきました。今日は、ほかにも玉城にある神宮の摂社、末社をお参りしましたが、この社は、新しく作り替えられたばかりのようで、静かな林の中に、真新しい木がよく映えていました。他の社は、まだ、前のままの社のところや、作り替えて1-2年経っているような感じで、一斉に遷宮と同時には新しくできないのだなと思いました。
摂社、末社はどこもキレイに整備されているので感心する。奈良波良神社も当然そうだ。
御祭神:那良原比女命最古の記録は延暦23年(804)成立の止由気宮儀式帳と言われています。なので、延暦23年以前には既に鎮座していたと考えられています。当社は皇大神宮(内宮)摂社です。御祭神の那良原比女命(ならはらひめのみこと)は、大水上命の子孫です。当社は地域の産土神であり、神田や楢原の守護神と伝えられています。拝:2020/08/08伊勢神宮125社(108/125)
皇大神宮摂社 。祭神はこの地域の田野の守護神と伝えられ、那良原比女命。社名からこのあたりが楢の木の原野であったことがうかがえます。木々に囲まれ異空間でした。
奈良波良神社(ならはらじんじゃ) 皇大神宮摂社 那良原比女命(ならはらひめのみこと)祭神はこの地方の田野の守護神と伝えられる、那良原比女命。社名からこのあたりが楢(なら)の木の原野であったことがうかがえる。享保甲辰(1724)に紀州藩が建てた禁殺生石がある。 伊勢神宮崇敬会より。
| 名前 |
奈良波良神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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奈良波良神社(ならはらじんじゃ)。三重県度会郡玉城町宮古字矢倉。式内社(小)、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。内宮の摂社27社のうち第22位である。主祭神:那良原比女命((ならはらひめのみこと、大水上の子)資料によると、皇大神宮の摂社で、式内社・奈良波良神社に比定されている古社。倭姫命によって創祀され、当地の川水を司る地主神を祀るらしい。社名は「奈良波良神社」であるが、『皇太神宮儀式帳』では「楢原神社」と表記する。社名より、周辺がナラの木の原野であったことが分かるが、鎮座地の宮古は豊受大神宮(外宮)の神田である「宮古御園」のあった場所である。『勢陽五鈴遺響』は、鎮座地「宮古」の名がこの地に遷都が予定されたものの大仏山が湧出したためにかなわず、地名だけ都(=宮古)になったと解説する。『式内社調査報告』ではこの説を「妄説」と断じているが、社名の「奈良波良」と「宮古」(=都)の関係を指摘している。玉城町役場は、宮古の旧表記は「宮子」であり、神様の恵を受ける宮の子であると解説する。祭神は那良原比女命。『宇治山田市史』では「奈良波良比女命」と表記する。大水上命(おおみなかみのみこと)の子である。地域の産土神であり、国津神であった。田の灌漑、神田や楢原の守護神とされる。伝承によれば、倭姫命の旅の苦労を慮った那良原比女命は、倭姫命に守護地を差し出したという。『式内社調査報告』によると、式内社・奈良波良神社は中世には廃絶し、寛文三年に現在地に再興されたが、薗田守良は、「かく上古は宮古村の奥なる山中に在りつるを、今は城田郷宮古村の人家の南の松原の中に在り」とし、御巫清直は、その地を廣泰寺寺地に比定して、「サレハ上宮子(ママ)村ノ産土ソ本社ノ衰へナカラモ遺スルナルヘキ」とした。つまり、上宮古神社(当社より南東に500mに鎮座)が式内社・奈良波良神社の本来の後継であるとしている。とあります。