小春日和に心和むひととき。
玉日姫の墓の特徴
久しぶりの訪問でも変わらぬ静寂さが印象的です。
親鸞聖人にまつわる歴史的背景が感じられます。
小春日和の穏やかな雰囲気が心を和ませる場所です。
小春日和に誘われて、久しぶりに訪ねました。空は穏やかに晴れていましたが、超音速戦闘機2機が上空を幾たびか通過…何だろう?訓練かな?それにしても速く凄い音!参拝して初撮影させて頂きました。称名寺様の管轄されていることなど知りました…🙏2024.11.9
小春日和に誘われて、久しぶりに訪ねました。空は穏やかに晴れていましたが、超音速戦闘機2機が上空を幾たびか通過…何だろう?訓練かな?それにしても速く凄い音!参拝して初撮影させて頂きました。称名寺様の管轄されていることなど知りました…🙏2024.11.9
| 名前 |
玉日姫の墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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親鸞聖人には二人の妻があったと考えられている。九条兼実の娘玉日姫と三善為教の娘恵信尼である。玉日姫は長女印信を産んだといわれるほか長男善鸞が恵信尼を継母呼ばわりしているので善鸞の母とも考えられる。加えて親鸞が救世観音から授かった女犯偈"私が玉女となって犯されてあげるからあなたが女犯の罪を犯しても何ら問題ない"に出てくる玉女に近い名前を持つ神秘的な人物である。恵信尼は印信・善鸞以外の子女を産んだと考えられており史料的に実在が確かな人物である。ところがこの二人とも墓が2箇所ある。玉日姫は京都伏見の西岸寺玉日姫御廟所と結城市の玉日姫の墓、恵信尼は上越市のゑしんの里と笠間市の稲田御坊玉日君御本廟である(恵信尼の墓が玉日君御本廟と呼ばれているのは当時二人が同一人物と考えられていたため)。このどれも由来が定かではない。唯一西岸寺だけは田村采女が玉日姫の墓を守るために建てたと云われるように由来がはっきりしている。結城市の玉日姫の墓は島地黙雷が生きた天保年間には存在していたとされる。稲田御坊の歴史は古いが墓に関しては大正期に建てられた石柱のこと以外よくわからない。ゑしんの里にある墓は昭和期に整備される以前は比丘尼の墓としか伝わっていなかった。恵信尼は越後に帰ったとされるので上越で亡くなったのは確かと思われるがゑしんの里近辺に有力な寺院がないのでもしかしたら墓だけは長年暮らした稲田に作られたのかもしれない。一方で玉日姫の墓が2箇所あるのには相応に納得いく理由がある。玉日姫には田村采女と白河局という二人の付人がいた。田村采女は先述の通り西岸寺に亡くなった玉日姫の墓を造った人物である。その土地は九条家のものなので実家(もしくは義理の実家)として弔意をあらわすために墓を建てたのではなかろうか。他方で白河局は結城市の墓の方に名前が出てくる。親鸞が関東に向かったことを聞いた玉日姫は白河局と共に関東へ下ったというのである。結城朝光が住居を提供したと云われており墓のある場所こそがその住居の場所であった。玉日姫は結城で亡くなりもう一人の付人である白河局が墓を建てたのかもしれない。白河局という名前は結城氏の所領白河を想起させる。そうすると新たな謎が出てくる。親鸞が関東に向かうと玉日姫と恵信尼の二人が関東に向かったことになる。二人を同時に妻としていたのだろうか。離婚したが親鸞を忘れられずに付いていったのだろうか。恵信尼を憚って稲田から離れた結城に住んだのだろうか。やはり二人は同一人物なのだろうか。謎は尽きない。