木曽三川治水神社で薩摩義士に感謝。
治水神社の特徴
木曽三川の治水に尽力した薩摩義士を顕彰する神社です。
岐阜県海津市、木曽三川公園に隣接する立派な神社です。
水難避けや交通安全にご利益がある御祭神を祀っています。
長良川と揖斐川に挟まれた中州にある、木曽三川の治水に尽力してくれた薩摩の人に感謝する神社です。御神紋が丸十なのが薩摩!ですね。堤防道路沿いに伸びる松並木も良い感じです。東日本ではもう一つ好かれていない印象の薩摩推しなのが、関東出身者としては新鮮な印象でした。
木曽川・長良川・揖斐川。木曽三川と呼ばれる川の分流工事に携わった、江戸時代中期の薩摩藩家老、平田靭負(ひらた ゆきえ)公を祭神とし、治水に尽力された薩摩藩士の功績を讃えた神社です。神社の創建は昭和十三年(1938年)。昭和二年(1927年)の着工から10年以上の歳月をかけての御鎮座だったそうです。
木曽川の中洲にある神社で、昔治水した人を祭っています。近くに大きな公園があって、その臨時駐車場を利用させてもらいました。神社の境内に入ってまず思った事は、あまり人気がなさそうだなです。社殿を見ると、けっこう立派な作りで、横からみると、拝殿と本殿の間に、もう1つ空間があって、今まで見たことが無い構造でした。その他には、当時治水工事の一連の流れが分かるように、絵入りの説明板がありました。散歩がてらに寄るには、ちょうど良い神社かなと思います。
10月30日509回目のサイクリングに自宅を7時30分出発。秋めいた季節となり早朝は夏仕様のサイクルウェアでは肌寒く感じます。一宮138ツインタワー周辺サイクリングロードにはカラフルなウェアを着たサイクリストが次々と走り去って行きます。木曽川中洲川島町外周道路を2周、河川環境楽園外周道路を1周して木曽川堤防道路を南下。頬を掠める風が心地良くペダルの回転もいつにも増して滑らかです。木曽川祖父江緑地で今日初めての休憩です。馬飼大橋を渡り木曽川と長良川の中道へ。中道を走行する親子連れに遭遇。かなり走り込んている様子が窺えます。子供は12〜13歳の男の子。必死で親子を追うのですが縮まるどころか差は開く一方です。最初は30m程でしたが中道10kmを走り終える頃には約200mの差になっていました。ハアハアと息が上がります。木曽三川公園展望タワー前に鎮座する治水神社に立ち寄りました。治水神社は岐阜県海津市海津町油島にあります。木曽三川の水害に悩む濃尾平野西南部の住民を救うため薩摩藩士が治水工事を完遂したと云う歴史があります。治水神社はその功績を称え昭和13年に創建されました。御祭神は平田靱負正輔大人命(ひらたゆきえまさすけうしのみこと)です。御神徳は除災招福、心願成就、家内安全、国土安穏です。サイクリングの続きです。長良川大橋、立田大橋を渡り木曽川堤防道路を北上。東海大橋から八開稲沢線512号経由稲沢へ。14時10分自宅に到着。走行距離103kmで6時間40分の爽やかな長旅でした。
木曽三川公園に行ったときに、駐車場脇に大きな神社があるので寄ってみました。この辺りの治水の逸話は、多少のことは知っていましたけど詳しいことを知らなかったので改めて勉強になり深い感動を覚えました。しかし、いつの世も犠牲になるのは一般庶民とか下っ端なんですよね。自分の身に置き換えて、胸が詰まる思いでした。非常に感じるところのある神社様でした。
岐阜県海津市にある木曽三川公園に隣接する神社。江戸時代、木曽三川が洪水を起こし幕府が薩摩藩に依頼して堤防を築き、その犠牲者を弔っています。ただ、この事が幕府に対して怨みを持ち、明治維新が起こったと言われています。当時の工事責任者、平田靱負(ゆきえ)と島津家を奉ってあるので正殿に二つの家紋が入っています。なかなか、立派な神社で鳥のさえずりが聞こえていい感じの所なので近くに寄ったら参拝して欲しい。御朱印は平日は9時~13時まで、土日は15時までやってます。駐車場は神社の手前に信号があるので、左折して下に下った所にありますのでそこから歩いて神社まで行くといいですよ。
立派な神社でした。大きな木も多く、両脇川に挟まれています。千本松原の一番北側に位置する場所にあります。木曽三川公園の南側です。手水舎がとてもかっこよかったです。トイレもあります。
壮絶だけど、良い歴史ですね。大事に語り継がれますように。
薩摩と木曽三川との間に関係性があったことに驚愕です。もっと語り継がれるべき歴史だと思いました。
名前 |
治水神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0584-54-5928 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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ここは、皆様ご存知「木曽三川治水神社」です。「薩摩義士」の方々が、尊い命をかけて、治水工事をしていただきました。もちろん、地元の方々のご尽力とがあっての工事でした。想いを馳せるのに、とても神聖な場所です。秋には、側にある観音堂で、春には、こちらの神社で、慰霊祭が行われます。次から次へと、工事に関係する方々が、参拝に訪れておられます。この歴史ある場所とその時の工事については、是非とも岸武雄先生の「千本松原」を読んでいただきたい。涙無くしては、この歴史を語ることは出来ない…そのくらい、素晴らしい崇高な業績です。この歴史を語り継ぐことが、私たちの責務と考えます。