忠霊塔と共に訪れる心の旅。
忠霊塔の特徴
この地に移動されてきた忠霊塔の歴史を感じられる場所です。
手を合わせることで心が落ち着く、神聖な雰囲気があります。
歴史的な背景を知ることで、訪れる価値があると感じました。
元々はこの地あったものではなく、移動せざるを得ない状況にあったらしい。
手を合わせてきました。
| 名前 |
忠霊塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
〒069-0817 北海道江別市野幌代々木町069 0817 |
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2026·R8.4.29 訪問、碑文には「忠霊塔 (左横に小さく)北海道知事 町村金五 書」とあります。長文になってますので、先に要約 ⇒ 『1926·T15年に市内荻ヶ岡に建立された「忠魂記念碑」が前身。1959·S34年に現在の形に改修され、1978·S53年に現在地へ移設された、日露戦争以後の戦没者慰霊碑』。正面台座の真鍮板?には「日露戦役」、続いて「大東亜戦争」として、戦没者名が刻まれ 末尾には「昭和五十七年再建 遺族会々長 阿部 仁 施工 草野作工株式会社」とあります。台座の他の石板には「篤志寄附者 芳名」として寄附者の名、また再建前の碑文として「碑文 江別市開基八十周年記念に当りこの忠霊塔を建設して日露戦役より大東亜戦争までの諸戦役に従軍し国家の爲尊い生命を捧げた四百六十余柱の英霊を顕彰し奉り、永遠に神鎮まりますことを祈る。 昭和三十四年十月建之」とあります。一方、再建時の副碑には「碑文 忠霊塔の前身、忠魂記念碑は明治大正の戦後 戦没者の為に明治四十三年建設に関わり大正十五年七月七日荻ヶ岡に建立された。其の後、大東亜戦争の戦没者も合祀する為、昭和三十四年十月忠魂記念碑を解体し忠霊塔として建立されたものである。昭和五十六年江別市水道庁舎等の建設が決定し移動せざるを得なくなり、錦山天満宮の格別の御理解、御協力の上、昭和五十七年七月十四日この地に遷座されたものである。この間、遺族後援会が主催で慰霊祭が行われて来たが昭和四十九年より江別市英霊顕彰会が慰霊祭を実施して来たのである。平成二十六年十月十四日、市制施行六十周年に当り、江別市が建立した恒久平和の碑に並べて戦没者名が刻まれたのを機にこの忠霊塔は永遠の平和を願う記念碑として鎮座するものである。附記 歴代遺族会会長名(初代~八代会長まで刻字)、歴代英霊会会長名(初代~七代会長まで刻字) 結びに遺族関係者と理解者の皆様の幸福と永遠の日本平和を願うばかりです。 平成二十七年五月吉日 江別市遺族会 記」とあります。