祖先と繋がる更級横多神社の歴史。
更級横田神社の特徴
母方の祖先と関わる特別な神社です。
覚えていない過去に思いを馳せる場所です。
更級横田神社でのご祈祷が心に響く体験です。
こちらは母方の祖先と関わりがある神社。川中島の戦いとか色々な戦いの舞台にもなっており、何度か焼失しては再建している。
覚えて居ません。
更級横多神社。鳥居をくぐると、参道が真直ぐ社へ導く。
| 名前 |
更級横田神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/01hokusin/07sarashina/11025.htm |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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更級横田神社(さらしなよこたじんじゃ)〈御祭神〉本殿伊勢社:天照大御神(あまてらすおおみかみ)本殿諏訪社:建御名方神(たてみなかたのかみ:諏訪大明神)日吉社:大山咋神(おおやまくいのかみ)〈由緒・歴史〉* 建立年代は不詳。御厨神明宮と称されていた。* 治承5年(1181)木曾義仲軍と、越後の城氏を中心とする平氏軍による、横田河原の合戦で神明宮は焼失し、その後再建される。* 応仁元年(1467年)神木欄(ケヤキの古称)の老木が大風で倒れ、樹中から神官の形をした1尺4寸の本神が現れ本殿に祀る。* 弘治3年(1559)第3回川中島の合戦で神明宮焼失。* 寛文元年(1661)本殿を再建し拝殿を造営する。その後本殿が大破し寛延3年(1750)建て替える。* 文政5年(1822)吉田家(徳川幕府から全国の神職の支配を任された)より、神明宮の社号を許可される。又、創立は不詳であるが伊勢社と並び、大字横田宇掘等に鎮座していた諏訪社も吉田家より更級横多神社の社号を許可された。その際、神明宮へ合祀し大鳥居を建立する。鳥居の額には神明宮と更級横多神社が並列して記されている。通称、伊勢社と呼ばれていた。* 天保13年(1842):台風にて千曲川の堤防決壊、社殿倒壊。* 弘化年間(1844〜1848):建築費200両を以って再建する。* 明治42年(1909)日吉社が1行政村1社の政策により、伊勢社に合祀される。* 昭和27年(1952)社殿屋根等き替えに伴う、梅速宮の際、更級横田神社と改称する。* 平成31年(2019)老朽化により大鳥居の立替をする。〈建築・遺構〉○社殿社殿は南向きの拝殿・祝詞殿背後に板垣に囲まれた二棟の本殿がある。西側は神明造りの伊勢社(神明宮)、東側は流れ造りの諏訪社(更級横多神社)である。なお、境内南端に建立されていた大鳥居は、文政5年(1822)以来改修を行ってきたが、老朽化が進んだため少し北側の位置へ新たに新鳥居、平成31年(2019)1月末完成併せて境内、拝殿内外の改修整備を行った。○造物狛犬、随神○鳥居両部明神鳥居○司宮横田荘総社神明宮、仮宮○境内社秋葉社、養蚕社、戸隠社、神農帝○祠二十三夜○その他宝庫、手水舎、百度石、御神木。