観音堂から見える長~い堀!
芦田城跡の特徴
標高806mの立科町史跡、車で狭い道を登りアクセス可能です。
再現される長い堀や土塁が見応え抜群、ぐるりと一周できます。
観音堂や展望台、歴史的な切岸が楽しめる魅力ある場所です。
依田氏ゆかりの城主曲輪の切岸が見応えあります。
芦田城は鎌倉時代に滋野系芦田氏が築城したものと見られます。信濃ではこの立科から上田小県地方から佐久地方にかけても小領主たちが割拠して城砦を中心に支配圏域を形成していました。山麓の芦田川河畔に城下町集落がその頃から建設され始めたようです。ところが1488年、坂城の領主、村上氏が佐久地方に侵入し、その勢力下の依田氏(小県の領主)や米持氏(高井の領主)とともに芦田城を攻略し、芦田氏を滅ぼしたのだそうです。新たに芦田城主になった依田三郎光徳は、芦田城を整備し、山麓を流れる芦田川の対岸に居館を築き、芦田姓を名乗って領主となりました。芦田城跡が位置する小山は、麓の集落との標高差が最大で55メートルほどだそうです。形状は山頂部が円形で、中腹が長円形。かたちが整った山なので、郭の配置など築城の仕方がきわめて端正です。つまり、山頂の本丸(本廓)を平らにならしてあって、その周囲の腰郭こしくるわが同心円状に築かれて、山腹に階段上に配置されています。この端正な形の山城の構造は、依田三郎(芦田光徳)の代以降に築かれたものです。
古町から車で行きましたが、カーブなどが狭くて苦労しました。
芦田城址は古町集落から徒歩15分で到着できる。登城口まで狭い農道で自動車でもアクセスできる。終点に4台ほど駐車できる。神社の郭まで一段、そこから本丸までもう一段を登る。本丸は正方形であけびの新芽がたくさんでている。北東方面の展望に優れる。かつて県道から城址の看板が見えたが竹藪の成長により見えなくなった。芦田氏の菩提寺の光徳寺もあわせて訪問すると歴史がよくわかる。
芦田氏が滅亡したせいか、遺構は少ない案内板までは車で行ける峠に囲まれた地の利は武田氏が侵攻するまではそれなりに有効だったのだろう後に春日城に拠点を移したため、使用されなくなった。
名前 |
芦田城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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標高806m、比高約65m立科町史跡で案内標識がある車で狭い道を登ると3台程停めれる駐車場があった説明板も横にある(*゚∀゚)ゞ散策すると北側には長~い堀u0026土塁が残ってる♪ぐる~りと一周すると堀に囲まれてることがわかる♪道だけど➰駐車場から登ると観音堂に展望台、その上に主郭がある土塁が三方に残ってる♪そして、規模のデカイ切岸♬段郭は数えきれない多さ♪..って、下の多くはヤブの中ダケド➰観音様は誰でも近くで見れるようになってた。黒光りしてピカピカ✨