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名前 |
秋山好古書碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
秋山好古、真之兄弟の生地は、愛媛県松山市歩行町であり、この場所からもほど近い。日露戦争における陸戦の好古、海戦の真之の命を削る戦いを思えば思うほど、先人のまさに命がけの生き方に頭が下がる。もしあの戦いで大国ロシアに日本が負けていたならば、北海道はもちろん、舞鶴や佐世保など多くの港が、租借地としてロシアの領土となり、多くの土地が現在の北方領土と同じ境遇を辿ったであろう。その上で朝鮮半島は全てロシアの領土のままにて、我が国にはウクライナと同様の危機が常に隣り合っていたであろう。現代社会は物質的には豊かになったが、人の心の在り様はどうだろうか。【その時】日本は、そして日本人はウクライナの人々と同様に、何が何でも戦い抜けるだろうか。侵略により荒廃したウクライナの映像を見るたびに、ウクライナの人々を見るたびに、空も海も陸も、そしてサイバーも他国に一歩たりとも立ち入ることを許すわけにはいかないことを、我々は自覚すべきであろう。(12歳の時、神戸大空襲ですべてを焼き尽くされ、目の前で兄が無残な姿をさらした光景を見た父は、今も一度も戦争について語ったことは無い。震源地から2キロの垂水区で阪神大震災の惨劇を体験した私の比ではない。父は惨たらしさの体験の中で記憶のすべてを闇に葬りたいのかもしれない。)