榎の周りの良好な見晴らし。
庚申塚の特徴
榎の周りに鎖で囲いがあり、ちょっとした神秘を感じます。
北側と西側の見晴らしが良くなり、散策に最適です。
区画整理の進展で、街の景観が新たに変わっています。
榎の周りに鎖で囲いがしてあり、近寄れません。
三本榎の下に建つ庚申塚。この前の道は古地図にも載っている辻で、東の中藤村と西の横田村の村境、そして南側は新田と思われるので、その境界に建てて厄払いを祈ったものではないだろうか?庚申塔の向かって左側には「多摩郡上中藤村赤堀講中 世話人 高橋権八(鳥、島)?」、右側には「寛政十一己未年(1799)三月吉日」とある。江戸中期の庚申塔なのに「世話人」という刻があるのはこの辺りでは珍しい(他は「願主」)。
名前 |
庚申塚 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
2.5 |
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区画整理でどんどん北側&西側の見晴らしが良くなってます。前来たときにあった、クリーム色の建物がなくなってました。モノレールがそのうち頭の上を通るんだろうなー。最初は話を聞いただけだったけど、「70年以上前のハタヤへのおつかいで、三角乗りするような実用自転車に座布団をつけて座って(当時3歳)おつかいに移動したときに、ここを通った」という話からはじまった調べもの。この付近調べるのに、武蔵村山の刊行物がかなり揃ったけど、おもしろかった。確かに、木と原っぱだった。話をしてくれた人に見せるのに、一番役に立った資料は「令和2年度 特別展解説書 武蔵村山を知る」のP24ー25だったよ。