旧青梅街道の高札場を訪れて。
蔵敷高札場跡の特徴
江戸時代の高札場として、歴史的な価値が高い場所です。
現存する高札場は、東京都内で2か所のみです。
旧青梅街道沿いに位置し、ひっそりとした雰囲気が魅力です。
バス停横にひっそりとあります。看板などはないですが見つけやすいです。
高札場とは、江戸時代に幕府が法度や掟書を発布したり、重罪人の罪状などを記して板札を掲げられていた場所で、明治時代になり、次々に取り壊され、都内に残っている高札場は蔵敷高札場と、府中にある府中高札場の二カ所のみとなっています。東京都の旧跡に指定されています。
高札場は幕府が決めた法度や掟書、重罪人の罪状等、基本的な決まり事を木の板札に書いて高く掲げて置く場所でした。人々の往来の多い場所に設置され、幕府の権威を示すよう、高札は石垣や土盛や石垣の上に立てられ、柵で囲まれていました。まだ車窓からしか見た事がないのですが、府中街道沿いにも目立つ高札場が残っていて、都内で残る高札場はこちらの蔵敷高札場と府中の二か所のみだそうです。蔵敷の高札場の設置は慶長8年(1608年)とされていて、徳川家康が江戸に幕府を開いた年に年貢に関するお触れを出したそうです。まだ豊臣氏を滅ぼしていない頃からしっかり取締りしてたんだな、と思いました。ここに生類憐みの令、禁教令のお触れや、時代を経て幕末の安政の大獄等で大勢の人々の罪状が掲げられた高札が建ち、その度に商人や農民がワイワイ騒いでいたのかと想像すると胸熱です。
バス停となってます。
東京都に現存する高札場は2つしかありません。一つは府中市高札場(府中市)で、もう一つが倉敷高札場(東大和市)です。時代劇にもよく出てきますが、新しく出来たルールを公表したり、重罪人の告知をしたりする江戸時代の掲示板です。
府中と2箇所が現在まで伝えられている史跡である。
多摩地域に残る高札場のうちの一つです(もう一つは府中にあるそうです)。高札場は、江戸時代に御触れなど当時の官報のようなものを掲示した掲示板です。
名前 |
蔵敷高札場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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旧青梅街道沿い、クリニックの脇にある。