歴史を感じる橋のそばで。
昔からあるこの橋。いつ頃に架けられた橋なのでしょうか。それ程、長くは無い橋です。私も、ほんの数分もしない内に渡りきりました。厚南の平野は、大昔は海でありました。厚東川の流れも陸地が広がり堤防を造る度に変わっていきました。大字沖の旦が厚東川を挟んで2つに分かれているのは、川の流れが江戸時代の中頃迄は広瀬村から際波村の串にかけて西に蛇行していたからです。防長風土注進案に依ると、現在の川東の方を奥壇村、川西の方を沖旦村と書き、どちらも(おきのだん)と呼んでいます。注進案よりおよそ100年前の地下上申には、(奥壇・沖の旦・沖壇・奥ノ旦)と色々な表記があります。また、川東の方には中山村と一緒に、西の方は広瀬村や末信村と一緒に書いてあるものあり、一層ややこしくなっています。注進案には沖壇村の地名の起源として神功皇后の伝説があがっています。(皇后此所に壇を築き給いて天神ちしを祭りゆえ昔、奥壇、今沖ノ旦といえり)とあります。現在の小字を調べると、昔川だったところに東古川、西古川という場所もあり、際波と沖ノ旦との境には上古土手、下古土手という地名めあるらしいです。大字の境界線を見ると、昔の厚東川の流れが良く分かるらしいです。
名前 |
沖ノ旦橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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交通量が多く、橋の傍に横断歩道があるのに、ドラッグストア森側の車線は、横断する人が見えにくいだろうけど何故か横断者又は自転車が居ても…車が止まらない勿論、横断者に気づいて止まる車もいるけど傍若無人なドライバーも見かけます事故発生してからじゃ遅いので、お先にどうぞ…の精神を持って運転してほしい。