亀山公園で感じる歴史の息吹。
長山城跡の特徴
亀山公園として整備されており、心地よい空間です。
長山城跡の遺構はほとんど残っていません。
歴史を感じながら散策できる場所です。
亀山公園としてとてもよく整備されており心地よい空間。城跡としては特に遺構はないが、山頂(頂上)付近に設置されている公園案内板に長山城跡についての記載がある。山頂(頂上)には銅像、井戸跡?庭園跡?っぽいものがあったが遺構かどうかは謎めいておるのじゃよ。あとご近所の高嶺城跡の説明板もなぜか設置されていた。城跡としては遺構が無いので寂しい限りではあるものの地形が完全にお城の地形であり往時が偲ばれる。遺構はないものの歴史が感じられる場所、だね。お城と僕との相関性について深く内省させてくれる場所だった。階段は結構急だよ、ご注意あれ。
跡地ではあるものの、今はもうその痕跡はない。
亀山公園として整備されている。広い平坦面だったのだろう。眺望が良い場所なので、それだけで意味がある場所のようだ。毛利敬親公像などがある。
長山城。小高い場所ですので、ちょっと登ります。山口サビエル記念聖堂と合わせて楽しまれるといいですね。
名前 |
長山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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ここに城があったみたいですけど、殆ど遺構が残っていないですし。大体の人は知らないでしょう。城跡かもしれませんが、今、普通に公園です。長山城は築城時期は不明ですが、慶長1596年毛利秀元が修築したといわれます。毛利秀元は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名です。長門国長府の初代藩主で、毛利元就の4男である穂井田元清の次男です。母は、村上通康の娘の妙寿院です。簡単に言えば、毛利元就の孫です。天正20年1592年4月11日に、肥前名護屋城に向かう途中、広島城に立ち寄った豊臣秀吉と再開し、輝元の継嗣と認められました。その、豊臣秀吉の豊臣姓・羽柴姓から、(秀)の字を与えられて、秀元とつけ、それから名乗るようになりました。毛利秀元は名前だけでは良く分かりませんが、毛利輝元ならきいた事があります。毛利輝元は、吉田郡山城の広島県安芸高田市で生まれています。山口県庁と瑠璃寺五重塔が映っている写真は、この公園から眺めです。因みに、瑠璃寺五重塔は今現在、修繕中です。