紅葉と歴史、ようこうじの美。
永興寺(臨済宗)の特徴
石畳の廊下と美しい紅葉が印象的な場所です
歴史的な延慶2年創建の寺院で文化を感じられます。
大内弘幸が開山した特別な背景を持つ寺院です。
短い距離ですが、石畳の廊下と紅葉が綺麗な場所です🍁
「ようこうじ」と読みます。御朱印は本堂の裏側にある建物が寺務所となっていて、そちらで直書きしていただけました。紅葉谷にあるので紅葉時期は綺麗なのだと思います。
広島市の近場で枯山水の庭を見れる場所がないか探してたどり着きました。訪問したのは新緑の季節の5月。どこもきれいに整備されており歩くだけで精神が整いました。錦帯橋に近いので観光コースとしてもおすすめです。毎月開催されたいる坐禅会も面白そう。
2023年3月25日今年も楽しみに来ました。緑濃い山をバックに ピンク色の桜が綺麗でした。秋の紅葉も素晴らしいですよ。
2021年の11月に行きました。ここのもみじはひときわ目立つ程の赤さがいいです♪
歴史的なこと永興寺(ようこうじ)は延慶2年(1309)に作られたお寺で、後に山口の守護大名となる大内氏の大内弘幸が仏国国師を開山に迎えて創建しました。弘幸の息子で防長を統一した大内氏24代当主、大内弘世の時、九世不明国師を中興としてお寺の規模を拡大しました。本尊は釈迦如来で、天気の良い昼間なら本堂のドアのカギも開いているので拝むことができます。天文9年から10年(1541~42)にかけて行われた吉田郡山城の戦いにおいて、毛利氏を救援するために出陣した大内義隆の本陣が置かれていたとも言われています。当時の永興寺は広大な土地を有しており、大内氏の軍事拠点および政治拠点としての役割も担っていました。その後、大内氏と敵対して防長両国を侵略するために進撃してきた毛利氏も、岩国に在陣した際にこの寺を本陣にしたと言われています。しかし慶長5年(1600)に行われた関ケ原の戦いにおいて、毛利氏は西軍の(名目的だが)総大将となりました。ご存じの通りこの戦いは東軍(德川家康)の勝利に終わり、敗れた毛利氏は中国地方の支配者から、防長二か国の大名に所領が縮小されました。岩国には吉川家が入り、その際永興寺は解体されました。現在の永興寺及びその庭は再現されたものです。周辺には吉川家の墓所や洞泉寺(曹洞宗)などがあり、いささか窮屈な感じですが、小さいながらも綺麗な庭や楓の木などが見られます。
名前 |
永興寺(臨済宗) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0827-43-2734 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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2016/10/16来訪。創建の由縁は後嵯峨天皇の皇子 仏国国師を開山とする由緒ある寺。永興寺(ようこうじ)は鎌倉末期の延慶二(1309)年、禅の高僧仏国国師を開山に、大内弘幸によって創建されました。