重森三玲の美、南溟庭で。
南溟庭の特徴
昭和の作庭家・重森三玲氏による作品の美しさです。
雪舟庭を復元した南溟庭の魅力が際立っています。
常栄寺・方丈庭の繊細な造りに感動できます。
常栄寺・方丈庭である「南溟庭」は昭和の作庭家・重森三玲氏の作で、重森氏が荒廃していた雪舟庭を復元作業(同年山口県内の宗隣寺も修復)にあたった昭和四十三年(1968)作庭されました。その際、当時のご住職 安田天山(やすだてんざん)氏は重森氏に「雪舟より良い庭を作られては困る。恥をかくような下手な庭を作ってもらいたい」と依頼。重森は固辞しましたが「上手に下手な庭を作ってもらいたい」と重ねて依頼したと言うエピソードがある、重森氏七十二歳の築庭となりました。南溟庭のテーマは、雪舟が明国に渡り帰国するまでに往復した海をイメージしており、石は中央の軸線より左手にある一つだけで置かれている小さな石を交点としてX字状に配置し有機的な繋がりを持たせた一方、苔(こけ)による築山はセオリーを破り、逆に手前の方丈側を高くして本堂から立って見るため庭を俯瞰するように作られていますが、平唐門側からも庭を見てみたい欲求にかられました。築山の端部は洲浜形にして動きを持たせ、波型や斜めの直線など重森氏の昭和四十年代頃のモダンな特徴がよくあらわれています。「南溟」の由来は、作庭を依頼したご住職が荘子内篇第一「逍遥遊」からとったもので「北冥に魚あり、その名を鯤(こん)とす。鯤の大いさ、その幾千里なるを知らず。化して鳥となる。その名を鵬(ほう)となす。鵬の背、その幾千里なるを知らず。怒りて飛ぶ、その翼は天に垂るる雲のごとし。この鳥や、海の運くとき将に南冥に徒らんとす。南冥は天地なり」北溟は陰の世界、北の涯(はて)のない暗い海。南溟は陽の世界、果てし無き南の海、彼岸を望む光明の世界。雪舟は想像を絶する苦難を乗り越え海を渡り、万里の波濤を乗り越えて明から帰国した海は、雪舟にとって実に南溟ではなかったのか?との意味が込められているそうです。他に、総門である南門をくぐった境内には昔は何もありませんでしたが平成時代にモダンな枯山水が作られています。地元の造園会社によるものだそうです。(2018年11月15日)
2017/2/26来訪。本堂南側の庭園。石庭となっている鑑賞式庭園。
| 名前 |
南溟庭 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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凄く繊細な感じの作品で、洗練もされていて凄く綺麗です。南溟(なんめいてい)は、1968年昭和43年に、重森三玲によって作庭されました。本当に立派な作品です。重森三玲は日本庭園史の基礎を作った事で知られています。宇部市の宗隣寺庭園もそうではなかった??宗隣寺庭園も、重森三玲の作品が入っていますよね。違ったかな。それで、綺麗なんだよな。常栄寺は、臨済宗東福寺派の寺院です。山号は、香山です。戦国大名の大内氏のゆかりの寺院でもあります。て事は、この常栄寺と庭園は、戦国時代から存在していた事になる。歴史がある雪舟庭園です。そして、南溟庭という、現代の作品とミックスされていますね。