畑田八幡神社の歴史感じる。
仮舎神社の特徴
長曾我部元親の軍が訪れた歴史はありません。
綾歌郡の歴史を感じられる神社です。
神社での特別な体験ができる場所です。
畑田八幡神社本殿から北西側約200〜300mの場所に有ります畑田八幡神社仮舎神社です。天正時代の土佐長曽我部元親軍の讃岐侵攻の際に讃岐の城郭、神社仏閣等々沢山焼き討ちにあいました。こちら畑田八幡神社もその一社で戦火により全焼致しました。それにより祠を造り神霊を遷宮し仮の社としてお祀り致しました。三十年後の元和年間に現在の場所に畑田八幡神社が再建されましたので神霊を再び遷宮し現在に至る次第です。仮社跡は祠が残っていましたので仮舎神社として、そのままお祀りすることと成ったようです。昭和六十ニ年に香川県住宅供給公社が南かざし団地の造成工事に伴い当社を改修工事し現在に至るそうです。
| 名前 |
仮舎神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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史実では長曾我部元親の軍はここに来ていません。こちらの方面は西衆と言われた中讃の香川を総大将とした讃岐と東予と阿波の大西氏でした。また、天正とその前後の時代にこの地も三好や毛利との戦いに巻き込まれており、野盗や海賊などで荒らされていたと記録されています。この神社の縁起録は確かに長曾我部に焼かれたと書かれていますがその書かれた時代は戦国時代から200年ほど経っています。ここでクチコミを書かれている宮本さんという方は大変博学で在らせられますが長曾我部が焼いたと言う伝承を史実として疑っていない様子ですので少しそこに気を付けていただければと僭越ながら思っています。中山城山は全讃史で「里人は一言目には長曾我部が焼いたと言う、信ならず。元親は廣く人を愛すことによって四国を統一した。しかし治政の間もなく秀吉に負けて土佐に戻ったためにすべての罪を擦り付けられた、これは冤罪である」と。