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名前 |
萩大井上水道 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
江戸時代末期の弘化二年(1845年)に越ヶ浜の庄屋末武為吉は村の人々が水に困っている事を思い藩に山から集落へ水を引くよう願い出ました。しかしなかなか藩から許しは出ず約20年近く経った明治元年(1868年)に代官の杉民治(吉田松陰先生の兄)によって後小畑のこの場所より、ダムを作り水をろ過しキレイになった水をポンプで汲み上げ越ケ浜へ水道を引きました。山口県初の水道として、「休労泉」と呼ばれました。ダムや、ろ過装置、越ケ浜へ引く土管などが残るこの地を残してほしいですね。なお、ポンプ小屋は砂防堰堤工事で破壊されました。