名前 |
紀州藩高札場跡 石碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
小俣町の元町・相合・明野の集落は参宮街道沿いに発達した宿場町としての性格を持ち、参宮客相手の宿屋や土産物屋があった。元々は神宮の神領地であったが鎌倉〜室町時代の武士の台頭により神宮の力が及ばなくなっていった。江戸初期は鳥羽藩領と田丸藩領、元和3年(1617)田丸藩領は津藩領となり、同5年紀州藩田丸領となった。以後鳥羽藩領と紀州藩領の相給地であったため、紀州藩の高札場がココにあった。もう少し宮川へ進むと鳥羽藩の高札場も有ります。