お伊勢参りの心、御師と共に。
御師邸跡(三日市兵部太夫)の特徴
御師は伊勢神宮信仰を広めた歴史的存在です。
お伊勢参りの宿泊手配を行った場所でもあります。
2026年に訪れたさわやかウォーキングのスポットです。
御師とは伊勢神宮の信仰を日本各地に広めるとともにお伊勢参りに来た人達を自分の家に泊めて参拝の手配をした人達の事を指します。今でいうツアーコンダクターの様なことをしていました。家に泊めるというよりは旅館の様な家であった筈。
| 名前 |
御師邸跡(三日市兵部太夫) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2026年3月20日さわやかウォーキングで訪問。案内板の内容はこちら。御師邸跡(三日市兵部邸土塀)所在 伊勢市岩渕一丁目ここに残る土塀は、かつての御師邸の遺構です。御師とは、古く大社寺に属する御祈祷師(おんいのりし)あるいは御師匠(おんししょう)が略されたものといわれています。伊勢での起源は明らかではありませんが、平安時代後期には存在していたようです。御師は年に一度、全国各地の檀家(だんか)を回り、神宮の御札、伊勢暦や特産物などを配って庶民の伊勢信仰を広め、檀家が伊勢参りをする折には自らの屋敷に宿泊させ、数々のもてなしをしました。庶民のおかげ参りが盛んとなった江戸時代には、宇治と山田で九〇〇軒余り(享保年間)の御師が活動していました。寛保二年(一七四二)の『山田惣絵図』によると、この土塀は三日市兵部邸のものと推測されます。三日市兵部家は、山田のかつての自治組織・山田三方に役席を有した御師で、遠州浜松の松平家、奥州弘前の津軽家などを植家に持っていました。しかし、明治四年(一八七ー)、明治政府による神宮制度の改革で御師は廃止され、数ある御師邸もほぼ失われてしまいました。御師邸の遺構が市内に数えるほどしかないなかで、この土塀は、かつての御師邸の敷地に現存する貴重な遺構なのです。