スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
八雲神社遥拝所 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.5 |
・八雲神社遥拝所阪内川スポーツ公園の駐車場から徒歩で八雲神社遥拝所に向かった。ここにはかつて須佐之男命を祀る八雲神社があった。明治時代の神社整理により、明治40年に八雲神社に大足里中にあった「大足神社」及び境内社を合祀して、大足八雲神社と改称した。さらに翌41年に松尾神社(立野神社)に合祀されたので、神社跡地は大足町の遥拝所になっている。周辺地域には合祀された神社跡地がいくつか存在している。祭礼は大足町神楽保存会による獅子舞がある。「松尾郷土誌百話」によれば明治19年の創始と云う。合祀先の松尾神社で獅子舞が披露されたこともある。・合祀された大足神社について地名の「大足」の由来は「飯南郡史」では大足神社だとしている。それでは結局は「大足」とは何なのか分からない。大足神社の由来が気になるが、創建由緒等は不明である。しかし大足神社の社名は神功皇后の別名が由来になった可能性が高い。まず大足神社の祭神は「飯南郡史」や「松阪市史」によれば次の三柱である。祭神名のままでは分かりにくいが、古代の天皇や皇族を神として祀っている。主祭神は筆頭に挙げられる仲哀天皇と思うかもしれないが、”本来の神社神道”には天皇だから主祭神という決まりはない。これについては後述する神功皇后信仰と合わせて考える必要がある。※参考にした「飯南郡史」の飯南郡は古代飯南郡地域とは無関係である。【大足神社祭神一覧】・足仲津彦天皇\u003d 仲哀天皇。・大帯比売命\u003d神功皇后。・虚津比売命\u003d 神功皇后の御妹。あまり見ない珍しい祭神である。「古事記」では名前を「虚空津比売命」としている。・境内社に品陀別天皇=応神天皇のことである。祭神を整理してみると、神功皇后の夫は仲哀天皇、皇后の御子は応神天皇、皇后の御妹は虚空津比売命であり、大足神社及び境内社の祭神は神功皇后を中心として密接な関係がある。仲哀天皇と神功皇后を一緒に祀る神社では、実際には神功皇后を中心とした信仰や伝承が多い。例えば「香椎宮」は神功皇后信仰の影響で、近世まで皇后を主祭神としていたほどである。「御香宮神社」は現在でも主祭神としている。また文献史料でも神功皇后について古事記・日本書紀は大書しており、風土記にも神功皇后の伝承が見られる。一方で他の祭神については、虚空津比売命は神名にある様に観念的な神様であり、単体で信仰が成立するとは考えにくい。八幡神で有名な応神天皇も境内社であった事を考えると、大足神社は神功皇后を主祭神とする神社だった可能性が高い。【神功皇后の別名「大足姫」について】神功皇后の別名は文献史料で「大足姫」とも呼ばれている。・粟鹿大明神元記に「息長大足姫天皇」※常陸国風土記や住吉大社神代記などでは摂政だった神功皇后を天皇と表記する例がある。・続日本後紀に「大足姫命皇后」・鎌倉時代の八幡宮寺巡拝記に「大足姫比咩大神」・南北朝時代の神道集に「大足姫」山口県の「飯山八幡宮」など一部の神社では神功皇后の祭神名を「大足姫命(おおたらしひめのみこと)」としていた。しかし現代では別名や異表記は使われない傾向にあり、一般的に諡号の「神功皇后」にしている神社が多い。さらに愛媛県にある「大足智姫神社」は神功皇后を「大足智姫」の神名で祀り、神社の社名にもなっている。これは神功皇后の大足姫命を指していると思われる。同じ神功皇后を祀る大足神社にも同じ事が言える。つまり地名の「大足」とは、大足神社で祀られた神功皇后の別名「大足姫命」が由来だったと考えられる。ちなみに景行天皇は日本書紀で「大足彦尊」と呼ばれており、古代には「高向朝臣大足、安曇宿禰大足、坂本朝臣大足、阿刀宿禰大足」など名前が大足の人物も多い。・大足について大足は「おわせ」と読む、難読地名とも言われる、由来は「おおあし」がなまったものなど諸説あるが、地名の「大足」を大きい足と解釈するのは短絡的な考えで同意出来ない。大足神社に関する考察により、大足は元は「おおたらし」と読み、次に「おおあし」、最後に「おわせ」に転訛したのかもしれない。もしくは田下駄の形をした農具の「大足」からきたものか。いずれにしても確かなことは分からない。・大足遺跡について八雲神社遥拝所から北西方向にある、「大足遺跡」では消滅した古墳が見つかっている。大足1号墳は墳丘の規模が約24mの前方後方墳で、正確にはB3型の古い形をした前方後方墳である。ちなみに飯高郡地域で前方後方墳が確認されたのは初めてになる。築造年代は4世紀頃とされる。遺跡からは土器の二重口縁壺や、祭祀に使用されたと思われる滑石製模造品や、非実用品のミニチュア土器などが出土している。一部の調査のみで遺跡の全体像は不明である。現在は農地になっていて遺跡の痕跡は残っていない。遺跡の詳しい内容は「伊勢寺廃寺・下川遺跡ほか」の文化財調査報告にある。