松坂城跡で歴史を感じる!
松坂城 本丸跡の特徴
松坂城周辺で一番広いスペースが印象的です。
ライトアップされた桜が美しく、散策に最適です。
栄枯盛衰を感じる松阪の遺産が魅力的です。
豪壮な石垣が残る松阪のシンボル天正16(1588)年に蒲生氏郷によって築城された平山城。現在も残る野面積みなどの豪壮な石垣は、松阪のシンボル的存在です。桜や藤、銀杏が石垣を彩り、四季を通じて市民にも親しまれています。城跡からは城下町の面影を残すまち並みを一望できます。
とても景色の良い場所でした。蒲生氏郷の気合の入った築城を跡を味わうことができました。きっと本人は短期間で会津に転封となるなどとは夢にも思わなかったでしょう。江戸時代は紀州藩の管理となったようです。天守閣は江戸時代の初期に台風?で倒壊したとのことです。
城跡に3カ所ある井戸の一つがあります。
一時は豊臣政権下で徳川家康、毛利輝元についでNo.3の石高:92万石の大名まで出世した蒲生氏郷。彼が計画した松坂城と城下町は、江戸時代に三井家、長谷川家、小津家など多くの豪商を生み出し、本居宣長、松浦武四郎、三井高利らを誕生させる土壌を作りました。40歳で早世した氏郷が、もっと長く生きていたら、彼はもっと大きな功績を残せたのかもしれません。
ここは石垣が綺麗に。近くの武家屋敷も綺麗にされていて本当にいい所でした。
MieMuに行って、津城跡を回って、松阪城跡までやって来ました町全体が持つ城下町の匂いに痺れますねー!と言っても松阪は、1619年に古田氏が石見の浜田に転封されてから紀州藩領となり、城代が置かれるようになったことから、一般に言う殿様のいた城下町とはちょっと違うかもしれませんが、、、しかしながら、三井家発祥である豪商の町という印象がありますし、何より松阪牛というブランドが全国的に有名ですよねさて、松阪城ですが、いわれとか成り立ちは他の方の口コミに詳しいのでさておくこととしまして、残されている城域、石垣などの遺構はかなりの規模感を感じます櫓跡から松阪駅の方角を見下ろせば、大手筋がくっきりと景色の中にあって、そらもう壮観です他にも今でも普通に一般の方が住んでいる御城番屋敷や、伊勢街道沿いに整備した豪商の町周辺の街並みが、城下町特有の景色を見せてくれますそして、城内になんと二つも博物館があって、見所たくさんなんですね!ひとつは本居宣長記念館で、もうひとつは松阪市立歴史民俗資料館です、、、が、口惜しや、この資料館の方が展示替えのため休館中だったのです、、自分は博物館や資料館が大好きで、どんな小さくても、どんなに評判が良くなくても、必ず美点を見つけて愛でるという覚悟を持って各地を巡っておりますなので、休館日はしつこいくらいにチェックしているのに、、、HPに記載されているのを完全に見落としてしまい、立ち寄ることができなかったのです!!!!!かなしいただただかなしいなので必ず再訪します絶対に再訪問して堪能しつくします、、、、、、車でお越しの方は、城跡に隣接した市営駐車場が最適です無料で停められるし、たいへん広い!ですが、運動公園と市民病院の利用者も使う駐車場なので、だいたい大盛況です列車をご利用の方は、駅からはバスが便利そうです歩くのも楽しいですが、思いのほか遠いですね駅前は歩道に屋根のついた商店街で、そこそこ商店が軒を連ねていますが、飲食店多めで夕方以降営業されているところが多いような感じその他駅から城跡周辺のエリアはホテルよりも旅館が多いな~という印象で、明治から昭和にかけてゆっくり時間が過ぎたんだな、という感想を持った道行きでした!
お城の中心2023年9月中旬、松坂城周辺探訪の際に行きました。松坂城の本丸は上下二段の構成になっており、上段の北西隅に三層の天守が築かれ、金ノ間、敵見2つの櫓、および城主であった蒲生氏郷や古田重勝の居館もあったといわれています。また、下段には、太鼓櫓、遠見櫓、月見櫓などが置かれていました。現在は石垣のみ掛川城のように復原されるともっと観光客増えるかと思います。周辺には有名な観光地ありますし、地元のフードも魅力的ですし。
場内で一番広いスペース。
とても景色がいいです。松阪を見渡せます。桜がとてもきれいです。
| 名前 |
松坂城 本丸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/kanko/matusakajogaiyou.html#honmaruato |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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本丸跡は、松坂城の中心に位置する最も重要な曲輪で、城主の権威を象徴する天守や主要な櫓が配置されていた場所です。本丸は上段と下段に分かれており、上段には三層の天守をはじめ、敵見櫓や金ノ間櫓などが、下段には遠見櫓や月見櫓、鐘ノ櫓などが配置され、複数の櫓によって堅固に守られていました。現在、建物は失われていますが、周囲を囲む壮大な石垣が往時の姿を伝えています。松坂城は天正16年(1588)、蒲生氏郷によって築かれた平山城です。氏郷は豊臣秀吉の命を受けて南伊勢へ入り、四五百森(よいほのもり)と呼ばれた丘陵に城を築きました。本丸は城の最も高い場所に置かれ、天守を中心とした城の中枢として、政治・軍事の両面で重要な役割を果たしました。築城当初、本丸には三層の天守がそびえ、その周囲には敵見櫓や金ノ間櫓などが配置されていました。17世紀中頃に描かれた「勢州松坂城図」からも、本丸上段に天守や複数の櫓が建ち並ぶ姿を確認することができます。また、本丸下段には遠見櫓や月見櫓、鐘ノ櫓が配置され、本丸へ至る入口を守るとともに、城内の監視や防御を担っていました。本丸は単なる戦闘のための空間ではなく、城主の威厳を示す象徴的な場所でもありました。天守や金ノ間櫓など格式の高い建物が置かれたのは、軍事的な役割だけでなく、城主の権力を示す意味もあったためです。一方で、天守は正保元年(1644)の台風によって倒壊したと伝えられ、その後再建されることはありませんでした。現在の本丸跡で特に目を引くのは、蒲生氏郷が築いた堅固な石垣です。松坂城の石垣は、自然石を巧みに組み合わせた野面積みを基本とし、角部には算木積みの技法が用いられています。大小さまざまな石を組み合わせながら高く積み上げた石垣は、戦国末期から近世初頭にかけて発展した築城技術の高さを今に伝えています。また、本丸跡からは松阪市街地を一望することができ、蒲生氏郷が築いた城下町の広がりを感じることができます。氏郷は城を築くだけでなく、楽市楽座、街道整備、商人の誘致などによって城下町の発展にも力を注ぎました。その町づくりの理念は江戸時代へ受け継がれ、松阪は商都として発展していきました。天守や櫓は失われましたが、本丸跡に残る石垣や眺望は、松坂城がかつて南伊勢の政治・軍事の中心であったことを静かに物語っています。石垣の上に立ち、往時の天守や櫓が並ぶ姿を想像すると、蒲生氏郷が築いた城の壮大さと、そこから始まった松阪の歴史をより深く感じることができます。