令和7年度 平野塚古墳 石槨内部公開!
平野塚穴山古墳の特徴
平野塚穴山古墳は、押坂王家の墓域であり、歴史的意義が深いです。
令和2年4月に国の史跡公園として生まれかわり、訪れる価値があります。
石槨式石室の精巧さは見応えがあり、探索が楽しめます。
2/1に訪問。綺麗に整備されていました。二上山凝灰岩の切石を使った石槨は見事。後の天武持統天皇陵や高松塚古墳など7世紀後輩飛鳥地域で盛行すること二上山産凝灰岩で構築した横口式石石槨の先駆形態として位置付けられているそう。普段は公開されてませんが、春と秋?に内部公開があるみたいです。また、現地には駐車場はないので気をつけてください。
石槨式石室が精巧で、見応えありました。周辺の道は狭く、近くに路駐できるような場所もないので、車で見に行くのは難しいロケーションです。
尼寺廃寺を建立した敏達天皇を父にもつ押坂人彦大兄皇子の一族(押坂王家)の墓域とされる平野古墳群を代表する古墳で史跡公園になっています。近年、茅渟王(敏達天皇の孫)のお墓だと有力視されています。有名な高松塚古墳などと同じ集団による築造で此方が先だそうです。開口した横口式石槨は南向きで正面を通る西名阪道の騒音が良く聞こえる今も変わらない交通の要所でした。普段は施錠された柵越しの見学ですが春と秋に無料で一般公開されていて石槨へ立ち入り自由です。告知は二上山博物館のホームページからで令和5年の秋の公開日は10月29日(日)午前10:00〜11:30、午後13:30〜15:00で予約不要でした。周辺は古くからの宅地で道は狭く駐車場も有りません。尼寺廃寺跡公園の駐車場から徒歩20分程です。JR志都美駅から香芝市コミニティーバス(白鳳台ルート)だと徒歩5分で済みます。
2025年11月15日、石槨の公開がありましたので、行ってきました。市の方から色々貴重な話を拝聴できたので、ここで紹介します。(長文ですがご容赦ください)・当古墳の床には写真2枚目のようなタイル状の石が敷かれているが、これは玄室に搬入されたもので石が割れてしまうのを防ぐため(らしい)。また床の石が割れているのは盗掘跡・玄室は奥から手前にかけて2°程傾斜があり、排水機能を備えていた・横口式石槨の原型と言える存在で、横穴式石室の名残がある。写真3、4枚目はそれぞれ玄室左、右の手前の角を写しているが、少し側壁に玄室入口上部の石が出っ張っている。これはまぐさ石の名残(らしい)写真5枚目は玄室から外を写した写真だが、横穴式石室でいう袖部、羨道が確認できる・玄室の石材は凝灰岩で、外側にある四角いコンクリートのような石(写真1枚目)の黄色い石は竜山石だそう・古墳の右脇の階段を上がってすぐに大きい石材(写真8枚目)があるのだが、これはどうも閉塞石らしい。平野塚穴山古墳には閉塞石が玄室と羨道の間と羨道入口の二重に施されており、奥側の方とのこと長くなりましたが、かなり貴重な話を聞かせていただきました。平野塚穴山古墳の石槨公開は毎年春と秋に催されており、二上山博物館のTwitterで宣伝されるのでこまめにチェックしましょう!
普段は保護のため施錠されていますが香芝市の石室公開に参加して予約無しで石室の中へ入れました柵越しで見ていたときより広い!普段は見られない天井石も見られてよかったです。
7世紀後半に築造された古墳。古墳の斜面に張石が巡らされており、その特徴は飛鳥時代の天皇陵と共通しているようです。斉明天皇の父、茅渟王の陵墓の可能性もあるようです。こちらの横口式石槨、細部まで計算された造りで素晴らしいと感じました。感動しました。たくさんの方々に見てもらいたい石槨だと思いました(墳丘は…ですが…)。天皇家も関係のあるかもしれず、本来なら宮内庁管理でもおかしくないほどかもです。普通に拝見出来るのは幸運なのかも。素晴らしい…
令和2年4月に国の史跡公園として生まれかわった。入口は施錠されているものの、玄室が整形した石できれいに積み上げられているのがわかる。住宅地を抜けたところにあり、駐車スペースもなく道が狭いので車の利用は不可。被葬者は高市皇子、茅渟王、當麻氏があげられている。玄室は、横口式石槨としては代表的なもの。整備されたものの墳墓は部分的に破壊されていたらしく、王族の墓としては貧弱であり一抹の寂しさを感じる。住宅地が広がる前に手を打っておきたかった。
| 名前 |
平野塚穴山古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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令和7年度 史跡平野塚穴山古墳石槨内部公開11月15日。