阿坂城跡で歴史を感じる!
阿坂城跡の特徴
阿坂城は椎ノ木城と白米城からなる史跡である。
標高312mの阿坂山に築かれた山城です。
南北300メートル、東西150メートルの広さを誇る。
阿坂城は北郭にあたる椎ノ木城と南郭にあたる白米城から構成されています。北畠氏によって築かれましたが信長の伊勢侵攻時に豊臣秀吉に攻められ落城しました。北郭部分の方が大きく新しいためこちらが阿坂城の主郭であったと考えられています。また、防御遺構もこちらの方が竪堀、堀切、土塁なとが確認でき、また郭部分の切岸の角度も見事に切り立っています。国の指定史跡だけあって整備も行き届いておりたいへん良い山城だと思います。
こんもりとした丘?山が横にあります。あともう少しで白米城。
こんもりとした丘?山が横にあります。あともう少しで白米城。
| 名前 |
阿坂城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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阿坂【あざか】城 [松阪市大阿坂町]1️⃣椎ノ木【しいのき】城跡部分 【日本山城147 】標高312m枡形山【阿坂山】の山頂に築かれた山城で、南北300メートル、東西150メートルの範囲に及ぶ。南北二つの郭からなり、北郭を推ノ木城、南朝を白米城とも呼び、台状地を中心に堀切り、土塁等が配されている。阿坂城は、文和元年(1352)の南北朝の争乱を伝える資料に初めて登場するが、もっともよく知られるのは応永22年(1415)に北畠満雅が足利幕府軍を迎え撃った戦いである。籠城する満雅は、馬の背に白米を流して水があるように見せて、水断ち作戦に出た幕府軍を繋き撃退したと『南方絶伝』(江戸時代初めに成立)は伝える。その後、永禄12年(1569)、大河内城に拠る北畠具教を攻略するため、織田信長は大軍を発し、先ず北畠の重臣大宮氏の守る阿坂城を攻撃し、落城させている。その後は、使用されることなく廃城となる。北畠菩提寺:浄眼寺【じょうげんじ】そばにある阿坂城跡登山者駐車場【トイレ有】からすぐ上が登山口。この浄眼寺登山口から頂上の白米城まで2.1kmです。登山口から35分で椎ノ木城北側竪堀に到着。