名前 |
宇気比神社 古社地〈宇留布都神社の論社〉 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
宇留布都(うるふつ)神社跡地御祭神は大日孁命延喜式神名帖伊勢國多氣郡五十二座の一つ現在は宇呂豆の大日堂と呼ばれる小さなお堂が立っている。城主北堂左京大輔崇敬の神社で、元享年中(1321~1324)当地の東200mほどの自然堤防の上に遷座された。宇留布都神社は後に八王子社となり、慶応四年、宇気比神社と改称。明治五年、村社に列し、明治四十一年、北藤原鎮座の畠田神社に合祀され、合祀時点の古社地は田圃整備で消滅した。つまり、宇留布都神社の本来の地に、その神宮寺と思われる大日堂があり、宇留布都神社は東方に移動した後に八王子社、さらに宇気比神社となったが、畠田神社に合祀されて消滅したということだろうか。他の神社跡地には明和町の教育委員会の説明書きやコンクリート柱に神社跡地名などありますがここは何もありませんでした。