榎本武揚公の足跡をたどる。
榎本武揚像の特徴
幕末・明治の偉人、榎本武揚公の銅像が見どころです。
旧幕臣としての歴史を感じられる場所です。
整備された美しい公園にあり、アクセスも良好です。
幕末において、旧幕臣の一人として最後まで新政府軍と戦い、投獄の後、その力量を買われ、色々な大臣をされた方だそうです。この像は、元は木母寺の境内である当該地に有りましたが、白鬚東地区防災拠点建設の為、寺は移転、像は残されたそうです。
幕臣の家に生まれ、昌平坂学問所(現在の湯島聖堂)で学びオランダに留学。幕府海軍指揮官となり、戊辰戦争では、新政府軍と函館戦争までを戦い抜きました。終戦後、2年間投獄されていましたが、その才覚を見出だされ、明治政府の黒田清隆に助命され、その後は明治政府で活躍します。榎本は晩年を向島の地で過ごしました。
曳舟から歩いて、やっとたどり着きました。ナビ頼りはダメですね。あるのは銅像と立札のみ。幕末から明治を生き抜いた人物らしい威風堂々とした風格があります。
幕末、明治維新に登場した旧幕臣の一人です。幕府海軍の指揮官となり、戊辰戦争では旧幕府軍を率い蝦夷を占領し、いわゆる「蝦夷共和国」の総裁となり。その後函館戦争で敗れ新政府に降伏しました。東京の牢獄に2年半投獄された後、黒田清隆の尽力により助命され、釈放後、明治政府に仕えたと言われています。
車で移動中通るだけなので、銅像が有るな?という感じ!立派だと思います、
この場所に建てる意味があったのか?つまらないことをしたもんだ。
旧幕臣であり箱館戦争で最後まで明治新政府軍と戦ったのに、その才能を高く買われて明治新政府においても何度も大臣の要職につくなど稀有な人生を送った榎本武揚。晩年、隅田川のほとり向島で暮らしたことでこの地に銅像が建てられました。
榎本武揚に関しては、前日投稿して在ります。幕末には、官軍には属せず、徳川家に属し海軍奉行であり、北海道の五稜郭の戦いに敗れ、牢屋に入っていた。明治時代には、初総理大臣伊藤博文に才能を、見出だされて大臣迄に着いた。当時の住まいが、現在の墨田区にあり、この像は、大正時代に造られた。
大通りに面しているマンションの公園のような、整備された美しい公園ですが、広さはあまり無いです。明治維新辺りが大好きな方には感動して涙が出そうになるレベルの有名人(榎本武揚さん)の銅像が有り、解説も付いていました。最寄り駅は東武線の鐘ヶ淵駅です。歴史好きな方は是非お散歩にお出掛け下さい。
名前 |
榎本武揚像 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-5608-1111 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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箱館戦争お疲れさまでした。