名前 |
龍馬脱藩の道 榎ヶ峠 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
県道からここまでの道のりは以前は廃道のようになっていましたが、丁度訪問した時は道が整備されていました。アスファルト舗装とコンクリート舗装になっており、県道沿いにあるあまごの里から上がる事が出来ます。河辺町は深い山間部にありますが三人揃った飛躍の像や屋根付き橋があり、その優しい地域に道案内の那須俊平はあえてこの河辺を脱藩の道に選んだのではないかと想像を掻き立てられます。〜以下案内板より〜坂本龍馬は、沢村惣之丞とともに、文久2年(1862)3月24日高知を出し25日に梼原に到着。その夜、原の那須俊平・信吾父子の道案内により伊予の国(愛媛)に脱藩しました。信吾は引き返したが、後平は同行し、大洲市(旧河辺村)を経て泉ケ峠に宿泊。27日、内子町(旧五十崎町)に着きました。俊平はここで引き返し、龍馬と惣之丞は長浜町へ。28日船で2日を要して山口県へ到着しました。2日を要して山口県へ到着しました。