旧野田村の歴史を感じる。
二子池跡記念碑の特徴
二子池跡記念碑は旧野田村の歴史を感じる場所です。
大国公園の一帯に位置し、自然と静けさが魅力です。
碑文には二子池の歴史的な説明が記されています。
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二子池跡記念碑、説明文には、大国公園一帯の説明がある。
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| 名前 |
二子池跡記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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●碑文より当大国公園の附近一帯は旧野田村々有の二子池であった。移りゆく時代の変遷に伴ひ、大正末期この池を埋立て、その一部分を残し、昔より年々祭儀を執行してきた由緒深い證誠神社の御旅所として使用するに至った。(註 昭和9年兵庫県指令に基き證誠神社境内飛地として登記完了した)同時期に地元有志が協議の上、出雲大社の大神を勧請し、地元守護神として安置奉斎し社を大国神社と称し毎月10日を月毎祭として斎業行し現在に至った。昭和42年1月9日13時30分頃、證誠神社が不慮の火災により御社殿が全焼した。これがため役員はじめ各総代再三協議をして早急再建復興することに決定したが、これに要する多額の費用は篤志家のみの寄贈で賄ふことは至難であるため、その主たる財源(基本資金)を得るため、證誠神社飛地境内地である御旅所を余儀なく売却するに至った。そのため地元民はもとより広く神戸市民の憩いのひろばである公園として、神戸市当局に役員総代協力一致して、其の実情を陳情し交渉を重ねた結果、昭和45年2月市会に於て公園としての買上げが決議された。同45年7月下旬御旅所大国神社の御神殿は證誠神社の境内地として遷座奉祀された。翌昭和45年9月初旬変更登記が完了し、翌昭和46年1月初旬、市が公園化のため工事に着工、同年3月茲に竣工した。この間役員総代及び地元自治会等多くの関係者の努力が実を結び新しい公園の誕生を見ると共に、大国神社の名を偲び大国公園と命名されたのである。證誠神社役員並に各総代一同が市当局に、感謝の意を表しこの地を永く記念するため二子池跡の祈念碑とともに、時計台、藤棚等を神戸市に寄贈した。以上の事実を記録して大国公園の由来とする。神社総代一同昭和46年3月吉日建立平成6年12月現在の大国公園に改修される附記 この記念碑文は、阪神淡路大震災5年を記して複製す平成12年1月17日。