300年の歴史、重厚な焔硝蔵。
焔硝蔵の特徴
大阪城の火薬庫として知られる歴史的な建物です。
徳川幕府が使用した頑丈な火薬保管庫が特徴です。
約300年前に再建された歴史を感じさせる場所です。
特の西の要、大阪城の火薬庫でとても頑丈に造られているようですね。
雷⚡によって一度焼失してしまったので、こちらの建物は約300年前に建て替えられたみたいです。●火災にも強くなければいけませんし、●湿気で火薬が傷んでもいけませんし、見た目は小さく味気の無い建物ですが、凄く考えられ、色んな技術が使われているんだろうと思いました😌
徳川幕府が鉄砲や大砲に使用する火薬を保管した火薬庫です。貞享2年(1685年)に建造され、重要文化財に指定されています。石造りの火薬庫としては日本で唯一のもので、内部に立ち入ることは出来ませんが、外観だけでも歴史を感じさせてくれました。見学するには西の丸庭園に入城する必要がありますので、有料となります。
火災に備えて火薬類を保管していたらしい。建屋は、扉を含めて全て石組みでできていて、厚みは40cmほどあるとのこと。扉が前後に2枚あって入庫口と出庫口を分けていたように感じる。ところどころに設けられた通気口から外部を覗き見ると壁の厚さが40cmどころか1m以上あることが分かる。
火薬庫です。一度雷が落ちて大爆発して大惨事になったことがあったらしく、これに懲りた幕府が貞享二年に床、壁、天井すべてを分厚い花崗岩で覆い、東西の出入り口とも三重の金属製の扉で密封したそうです。
1685年竣工。三百年前の「堅牢」の概念がこれかぁ‥‥‥。とは、思いました。
焔硝蔵は火薬庫の事だそうです。外壁、内部の壁・床・天井が花崗岩の切り石造りだそうです。
1660年7月25日午後7時頃、その日は昼間から豪雨と雷鳴が続いた日だった。青屋口焰硝蔵は突如落雷の直撃を受ける。その大爆発は大坂城内外に甚大な損害を与えた。貯蔵していた火薬82トン、鉛丸43万個、火縄筋3万以上がほぼ同時に爆発したのである。それは想像を絶する大爆発だった。土蔵造りの焰硝蔵は何の役にも立たなかった。これに懲りた幕府は1685年、ついに三重の金属扉、厚さ2.4メートルの花崗岩の石壁を持つ焰硝蔵を完成さす。西の丸庭園にひっそりと佇むこの建造物は、空襲にも耐え、現在まで生き残り、大阪城内でも数少ない重文の一つになった。
| 名前 |
焔硝蔵 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www.osakacastlepark.jp/articles/detail.html?id=57&lang=ja |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
☆初訪問🚶大阪城西の丸庭園の一番北側に重厚な石組の焔硝蔵がありました👀現在、国内に唯一現存する焔硝蔵(火薬庫)、徳川幕府が西日本の諸大名に睨みを利かす重要軍事拠点が大坂城⚔️写真で見たより大きくて重厚、江戸時代初期の貞享2年(1685年)建造された約340年前の構造物、高さ5.4m、驚いたのは石壁の厚さ何と「約2.4m」とは、屋根の瓦に葵の御紋発見、流石、幕府直轄の城😲☆周囲をぐるり拝見、石と石の間を漆喰で固め、南側に通気孔らしき四角い間口が2ヶ所、北側には石組の側面を支えるような長方形の石が2ヶ所、蔵の周囲の地面が全て幅50㎝くらい石で固めて構築、石が綺麗な組み方の切込接ではなく少し武骨な荒々しい石組も魅力、貴重な焔硝蔵、間近で見れて良かった、国指定重要文化財😄