恋志谷姫の伝説を歩く。
天満宮/恋志谷神社の特徴
地元の方々に大切にされている歴史深い神社です。
後醍醐天皇の側室、恋志谷姫を祀る特別な場所です。
恋志谷神社の隣に位置する、訪れる価値のあるスポットです。
駐車場ありました。境内ヨコの地域の会館(集会施設?)の駐車場に数台、停車可能でした。恋路橋という沈下橋を越えて入った集落の奥に佇む神社。エリア的に、南北朝時代の説話、逸話が多いところでして、やっぱり、この神社も、その1つでした。南北朝時代の主役の1人、後醍醐天皇絡みの、神社。神社そのものは小さくて、可愛らしい雰囲気。山裾に鎮座されているので、鎮守の森的な、離れて場所から見つかる神社ではない感じ、探して見つけて、目星つけないと来れないかも、という感じ。歴史ある神社を地元の方々が、語り継いで、守り繋いでくれて、今でも、参詣に行くことが出来る。改めて実感できる神社でした。ありがとうございました!!
恋志谷姫の悲恋と「後の世の人の病気や苦難を我が身に受けます」という辞世の句の残る歴史ロマン溢れる神社です。
こんなところに神社があるんだ、というような場所ですが境内はとても綺麗にされています。静かでとても良い場所です。縁結びのパワースポットという事で、実際は訪れる方も多いみたいですね。目的もなく訪れるような場所ではないかと思いますが、電車などで来ると川を渡るシチュエーションなども相まって、とても良いスポットだと思います。ぜひ訪れてみてください。
通称“恋路橋”を渡ると、静かで心が和む景色が広がっていました。駅からも近く、橋の先の神社は丁寧に清掃されていて、とても気持ちよく参拝できました。
祭神 恋志谷神社姫大神恋志谷神社は南山城村天満宮の末社である。恋志谷姫は後醍醐天皇の寵姫であり、持病治療のため伊勢に居たが、弘元元年(1331)帝が倒幕の戦を始め、笠置に居ると聞いたために帝に会うために笠置に向かった。しかし笠置の付近まで来て、帝が戦に敗れ笠置を去り行方不明であることを知り、持病も悪化し「恋しい、恋しい」と叫びながら自ら命を絶った。その際、後生の人の病苦を代わりに自分が受けると願をかけたようだ。そのため、良縁や安産、病気平癒に霊験ありとされる。
地元の方々に大切にされているお宮さんという事が分かりました。とても綺麗にされていて気持ちの良い場所でしたよ。
後醍醐天皇の側室、恋志谷姫が主神の神社です。1331年に笠置山で鎌倉幕府軍に対し激しい抵抗を続ける後醍醐天皇の元に、恋志谷姫が伊勢より駆けつけるも、この場所で笠置山落城の報せを聞き、悲嘆にくれ後に病で亡くなったそうです。ただ亡くなる前に「自分のように病で苦しむ人がいないように」と言い残したことから、その気持ちに感銘を受けた当時の村人が「齋神社」という小さな祠に恋志谷姫を祭ったのが恋志谷神社の始まりだと伝わっています。自らの最期に民の事を心配するとは、本当に良くできた姫様です。さて、恋志谷姫ですが、何万もの大軍が大激戦を繰り広げる笠置山に皇妃の身で行こうとしていたわけですから、薄幸というよりガッツのある姫様だったように思います。もしかしたら後醍醐天皇に会うため鎌倉幕府軍を突破できるだけの軍事力すら伴っていたのかもしれませんね。恋志谷姫の行動力に今の私達もあやかりたいものです。ちなみに、今はは病気平癒ではなく恋愛成就のご利益があるとのことです。昨今の婚活は「戦場」ですから、愛のため戦場に向かった恋志谷姫に祈れば勇気百倍ですね。
恋志谷神社の右隣に鎮座されています。
| 名前 |
天満宮/恋志谷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0743-94-0220 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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2026年9月2日今回で春秋含めて10年の参拝恋志谷神社の秋の例祭10:30頃参拝するも今日はツアー客30人ぐら地元の方々20人位で狭い境内は賑やかでした、宮司の挨拶と世間話どこかの議員の挨拶(今まで一度も来なかったのに)で時間を奪われ帰りの🚞はあと15分くらいしかない徒歩8〜10分かかる知り合いにたのまれた御守りだけ授与した。参拝は既に20人位ならんでいたこれ以上時間がない為駅へ向かう。とうとうツアーの寄り道になってしまったようである。¯\(°_o)/¯