戸張城跡を懐かしむ散策。
戸張城跡の特徴
残念ながら現在は立入禁止ですが、土塁と空堀が魅力的な場所です。
昔は弥生式住居の見学ができ、懐かしい思い出の地となっていました。
文京区の柏学園が近くにあり、周囲の歴史を感じられる場所です。
【城探究】◉城跡 戸張城 📍千葉県柏市休校中の文京区立柏学園内にあり、関東の名族千葉氏庶流、戸張行常が築いたとされる「戸張城跡」を探究しました。7時44分に戸張城跡周辺から手賀沼方面へと探究しました。🏯戸張城南西から北東へと吐出した細長い舌状台地を利用して築かれており、城域は長さ約180m、幅約100mの長方形、標高は約19m、谷戸の水面より比高約15m、台地上面はほぼ平坦な地形となっている。2条の土塁と堀で区画し2つの郭を直線的に並べた連郭構造となっている。主郭は東西約60m、南北約90m、2郭は東西約85m、南北約95mとなっている。☆分類・構造連郭式平山城(丘城)☆築🏯主戸張行常☆築🏯年平安時代末期☆主な城主戸張氏 立沢氏?☆主な改修者なし☆廃城年不詳☆沿革桓武天皇の血を引く関東の名族である千葉常胤の子で相馬氏初代当主・相馬師常の三男、戸張八郎行常の居城だとされており、代々戸張氏が200年にわたって本拠としたとされています。また別の千葉氏庶流である立沢氏が城主だったなど諸説あるようですが不祥とされています。☆鼻食い田柏市大井にある追華城(おっけじょう)とは仲が悪く大津川を挟んで幾度も戦が起きていました。時の追華城城主は坂巻若狭守、対する戸張城城主は戸張彈正、戦が佳境へと迫り最後は両者自らが戦い組打となったまま水田へと落ち、どちらかが相手の鼻を食い千切ったため「鼻食い田」と言われる伝承が残っています。☆文京区立柏学園休校中となっている為、平時は入る事が出来ませんが桜の咲く3月末の土日に一般開放されています。◉感想国道16号線柏陸道上から文京区立柏学園正門へと歩きます。正門からは入る事が出来ない為、遺構全体を確認するのは難しいですが門内正面に「喰違虎口」、右側には「土塁と空堀」、左側には「櫓台跡」を見る事が出来ます。校門左側への道沿いを進むと戸張城がある舌状台地をぐるりと歩く事が出来ます。舌状台地先端の主郭付近には腰曲輪があり、この付近には船着場があったようです。舌状台地から大津川方面へと歩くと戸張城全体像を見る事が出来、そこから手賀沼方面を目指して進みヒドリ橋を渡り、手賀沼自然ふれあい緑道へと更に歩くと鼻喰い田のモニュメントがある場所となります。このモニュメントをよ~く見ると鼻の形です!ありがとうございました。◉所在地千葉県柏市戸張909 文京区立柏学園の敷地内◉アクセス🚊JR東日本常磐線/柏駅東口から2.2Km、徒歩33分位。
学校の敷地内に立派な土塁と空堀がありますが、現在は閉校になったようで立入禁止になっています。
土塁と堀が確認できる。遊休地のような柏学園の敷地でなければなおよい。
わたしがガキの頃は敷地内に入れて、弥生式住居とか見学できたんですけどね。いつから立ち入り禁止になったのでしょうか。
入れないので、城跡観光にはオススメしづらいです。
千葉常胤の子で相馬氏初代当主・相馬師常の三男、戸張八郎行常の居城だと伝わっている。
柏学園の敷地内で近寄れず。
散歩がてら行って来ましたがお城の面影もあまりなかったです、
ここの場所は立ち入ることは出来ませんが、文京区の柏学園が建っています。柏市にあるのに、文京区の持ち物。なにか不思議に感じる。
| 名前 |
戸張城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
2.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
2019/10/13閉鎖された学校の敷地の中に土塁や堀がなかなか良い状態で遺っている。