田園の小山に佇む日枝神社。
日枝神社の特徴
田園に佇む小山に鎮座する神社の魅力があります。
御祭神は大山咋命で、歴史を感じられる場所です。
魅力的な土地に位置し、訪れる価値がある神社です。
田園に佇む小山に鎮座。オオヤマクイノカミをご祭神に祀る神社。
集落からは、かなり離れていて、つい最近まで砂利道だった場所にある神社⛩️。しかし、社殿は砂山だった場所の高台に鎮座し、階段に石造りの鳥居がふたつあります。社殿そのものも本来の造りである拝殿、本殿が並んでいるものでなく、平等院鳳凰堂みたいな社殿の左右に建物がある独特な形式です。また、基本白木造りですが彫刻されている部分は彩色が施され、洒落た雰囲気が漂っています。周りの鎮守の森も、鬱蒼とした常緑樹ではなく、明るいアベマキで覆われ、緑の時期でも明るいです🌳。
御祭神は大山咋命。アベマキの木の森がある雰囲気満点の神社でした。
聖籠町の公園マップに山王森史跡公園とあったが、検索しても出てこないので、適当に車を走らせていたところ、公園の看板あり。公園内に神社、もしくは神社の周りが公園のよう。以下、新潟観光ナビより古来、山王権現、山王社と称されていましたが、明治になり日枝神社と改められました。およそ千年以前にあったと言われていますが、度々の火災のため古の様子をうかがうことはできません。現在の社は、大正13年に再建されました。町の文化財日枝神社の社叢を整備したもので、アベマキ(ブナ科)の優占する落葉広葉樹林が広く生態していることから、県緑地環境保全地域に指定されています。
歴史の説明がほとんどないですが、魅力的な土地です。
| 名前 |
日枝神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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❶【参考 日枝神社 聖籠村誌 1957年】日枝神社むかしは山王権現で、山王社と呼ばれていた。明治のころに日枝神社と改めた。天喜4年(1056年)源義家が奥羽討伐の折、この神社に戦勝祈願をした。討伐を成就した義家は家臣 鎌倉景政(かまくらかげまさ)を使者として、石の神門一基を奉納した。永正年間(1504年~1521年)上杉氏の内乱で焼ける。上杉謙信は義家の故事にならい、この社に神門を献じて川中島にむかった。天正17年(1589年)本間高貞(ほんまたかさだ)の兵火で村自体すべてが焼失した。新発田藩城主 溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)は入封の翌年参詣し、武運を祈った。また、狩野玉栄の反絵馬の大額を献納した。寛政4年(1792年)上野寛永寺の輪王寺の一品親王(いっぽんしんのう)から神像と御旗(赤地錦瀑の菊桐の紋のぼり)共に、次第浜(しだいはま)住人 関戸八郎次(※1)に賜り、最近まで伝えられた。(※1)宝暦7年(1757年)生まれの力士。「関ノ戸」を襲名する。江戸後期にかかれた「北越雪譜」に“近年相撲に越海、鷲カ浜(わしがはま)は新潟の産、九紋龍(くもんりゅう)は高田今町の産、関戸は次第浜の産なり”と紹介されている。社殿は昔は海面していたが、漁師たちが海上航行中に宮の前に至ると、とまってしまうので漁師たちはおそれをなして、神酒を供えるとようやく動くとかで、焼失後は南面(向きを逆に)して建てた。明治38年保安林にしていされる。大正13年(1924年)再建昭和30年(1955年)聖籠村との合併で山王の森は村財政の為費やされた。又山王権現の臼搗歌(うすつきうた)はゆうめいである。[鎮座地] 次第浜(しだいはま)[祭神] 大山昨命(オオヤマクイノミコト・山の地主神)[例祭日] 10月27日。