お堀の片隅で新発見!
蓮池跡
豊田市美術館に行く際に駐車場を停めた片隅に駒札がしれっとたっておりました。
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山3つ分の大蛇が息づく穴。
蛇穴
山3つ分ある体長の大蛇が頭を出していたといわれる穴。
日曜院の美しいマツ、心癒される景観。
日曜院のマツ
横へと枝を広げる美しい姿をしています。
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住宅街の隠れた神社、心癒される場所。
土井城址
フツーの住宅街にある神社に…
芭蕉句碑と西行の情景。
芋塚
伊勢西行谷での発句で、この場所で詠まれたものではないが、市内南外山に西行法師が庵を営み滞在したとの伝承があることや、この地の情景が似ているこ...
こんな所にまで芭蕉の句碑が…さすが芭蕉。
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新川堤防の歴史を感じる。
水埜士惇君冶水碑
師勝や西春、新川など庄内川沿いの町や村は洪水の被害が絶えませんでした。
新川開削の責任者水埜士惇公の記念碑覆屋に保護されて新川堤防に立っています説明看板もありますけど字がかすれていますその上後から出来た施設に遮ら...
見事な廃村で時間旅行。
旧:大入集落
見事な廃村でした!
佐脇城主佐脇刀袮大夫の墓
秋の静けさ、宍戸昌寿の歴史。
宍戸弥四郎の墓
毎年の秋に訪れます。
寺入り口に石碑がありました。
赤い橋が織りなす、特別な景色。
龍江寺弁才天堂
池に赤い橋が2箇所にかけられていて、渡ることができます。
朝鮮通信使の歴史を知る。
朝鮮通信使碑
その費用の全てを日本側が負担していた。
秋葉山常夜灯、歴史を照らす光。
秋葉山常夜灯
浄雲院のそばにある「秋葉山常夜灯」です。
文政癸未とあるので、1823年建立のものと思われます。
加藤清正生誕の地で歴史探訪。
加藤清正公遺跡の碑
加藤清正生誕の地これと言って何も無い。
それにちなんで神社が建てられた。
船頭平閘門近くの木造建物、憩いの場!
旧船頭平閘門管理所
2025年11月上旬日曜日。
船頭平閘門のロックとロックの間、すぐ東側にある木造の建物。
新城で見つけた勘助のお墓。
山本勘助父子の墓
とてもわかりにくい場所ですが新城にも勘助のお墓があったのだね。
挙母土場跡
城址の石碑とお寺、歴史の宝庫!
前田城跡碑
城の遺構は確認できないが、跡地に建つお寺の本堂は必見。
お寺入口に城址の石碑がある。
黒池龍神王
珍しい方墳を見に行こう!
志段味古墳群 大久手3号墳
柵代わりにコーンが置かれている古墳です。
方墳を復元してあります。
長篠の合戦の歴史体験。
平成の馬防柵
「長篠の合戦にて火縄銃の次に重要なモノとなった馬防柵(ばぼうさく)それを後世の学生らに伝える為につくらました。
決戦 いや武田家血戦の地。
小牧・長久手の歴史を感じる。
伴若狭守盛兼の墓碑
小牧長久手の合戦で戦死した徳川家康の家臣伴若狭守盛兼の墓碑。
2022年2月下旬に小牧・長久手の戦い関連史跡巡りで初めて行きました。
駐車場なし、枯れかかる魅力。
駒止の桜跡
駐車場がありません。
枯れかかってる?
碧海山古墳の歴史に触れる。
碧海山古墳
道路脇にしっかり残ってます。
安城市指定史跡。
桃花台線 桃花台センター駅跡
日吉神社のクスノキ
大衆塚
すみれ色からピンクに彩る洋館。
新美眼科医院旧館
すみれ色からピンク色に塗り変えられた下見板貼りの洋館。
八幡社の大鳥居前で、平針街道へ!
平針街道案内板
堤町の八幡社の大鳥居まえに立つ平針街道の案内板になります。
ウォーキングの途中で寄る、素敵な立ち寄り場所!
明治基地油蒸留庫跡
ウォーキングがてらに通る道にある。
崩壊しており、一部分だけ畑の中に残っています。
祖父江町の巨樹、200年の歴史!
イチョウの乳根
例年、祖父江町イチョウ祭で訪問しています。
個人宅にあるイチョウの巨樹。
戦死者を偲ぶ石碑と共に。
殉國戦士之碑
戦死者を偲んでたてられた石碑と思われます。
鎌倉時代の窯跡地、歴史の息吹。
水小屋とIーG-2号窯跡
公園には何回か来ているがこちら方面は初めて。
整備してあるとはなかなか言いがたい状況ではありました。
初代加賀藩主・まつのゆかり。
お松の方生誕地
木製の標柱が建っています。
こんなところにまつの実家があるとは知りませんでした。
平井大塚古墳
長篠の戦いとアラモ砦新たな発見をどうぞ!
堅木植樹の碑
長篠の戦いとアラモ砦が似てるとかなんとか。
義詮の魅力、清助で発見!
前野清助地蔵・野田墓
清助は通称で本名が義詮。
神社の奥に隠れた古墳探訪。
瀬門古墳
神社の隣というか奥の、小山にあるようです。
実際の古墳がどこにあるのかはわかりませんでした。
刈谷市で福島藩の歴史を体感。
重原陣屋跡
福島藩板倉勝長が寛政四年(1792)この土地一万石を得たとのこと。
石碑と説明板のみ。
濃尾平野に刻まれた歴史。
濃尾平野発祥の地
石碑の裏には濃尾平野のなりたちが刻まれています。
なんとも小さな石碑があるだけ広大な濃尾平野なのになぜ。
明治末期の水門跡を訪ねて。
本川樋門跡
この辺りは水害に常に悩まされていたそうで明治末期になってやっと対策がなされ築かれた水門の跡らしいもっと昔のもんかと思った。
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