御鉾神社跡で新たな発見を!
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| 名前 |
御鉾宮 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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20240907⛩️境内の御鉾神社南の實法寺さんから西側に進んだ所に、御鉾神社跡があり、三嶋神社の祭礼時の第2駐車場になっていましたが、現在は売地の看板が立ってました。その御鉾神社は、明治42年の神社合祀令の時に、こちらの三嶋神社(祇園神社)へ遷されたようです。御鉾神社は、大山祇神社の宮司職を務めた大祝家が守護神として太祖をお祀りした神社ですが、實法寺さんから西側に進んだ所の御鉾神社跡と言うのは、つまり大祝屋敷跡(鳥生屋敷)に屋敷神として祀られていた御鉾神社です。大祝家は、鳥生に住まわれる前は、古くから別名に住まわれていました。そこには御鉾山があり、御山には御鉾社が祀られていたと言います。御鉾山は大祝家の先祖が眠る場所でもあり、鎮め祀る場所でもありました。現在の端谷五輪塔群の東側丘陵地が御鉾山で、五輪塔群は、御鉾山に散乱してしまっていたものを、地域の方々が丘陵地の下に集め、祀り直されたものです。そして天正年間(1573年〜1592年)頃に大祝家は、別名から鳥生の地へ大祝家の別家があった事から移られます。そして1675年に藩主の命により、大祝家は大三島へ移住されましたが、大祝屋敷跡に御鉾社は祀られ続け、明治42年(1909年)の神社整理の際に、三嶋神社に遷座されました。しかし近年まで三嶋神社へ遷座後も、大祝屋敷跡の一画に小さなお社として祀られ続けていたようです。⛩️鉾(ほこ)について大三島の大山祇神社の本殿には、大山積神を守護する様に神宝として安置されている五世紀頃の作と言われる鉾(ほこ)が、金象嵌両添刃鉄鉾(きんぞうがんもろぞえばてつほこ)と言い、その鉾が、御霊代(みたましろ)として大祝家の太祖の御霊が宿っているともされおり、それゆえか、大山祇神社は古来、大山積御鉾大明神(おおやまつみおほこだいみょうじん)とも称されていました。なおこちらの鉾は、日本国の重要文化財に指定されております。ちなみに大三島の大山祇神社の本殿横には、御鉾神社が鎮座されてますが、鳥生から藩主の命により、大祝家が大三島へ移住した際に、大山祇神社の境内へ御鉾神社を祀ったもので、大祝家と御鉾神社の強い関係性を示すものであります。⛩️御鉾跡の小字今治市の小字界図を眺めてると、上記の御鉾社跡(大祝屋敷跡)の小字は、御鉾ノ上と名付けられたエリアになってるんですが、なぜかそこから蒼社川方面へ150メートル行った小さなエリアの小字が御鉾跡と名付けられてます。?なんでだろ。御鉾社は、元はそっちにあった?もしかして1338年に大祝家の別家が鳥生に建てられた時、最初はそっちに御鉾社があったのかな?それとも、大祝屋敷の敷地はその辺りまであった?となると門前に祀っている御鉾社の性質から考えると総社川が門前だった?しかし、御鉾社は、必ずし門前に祀られる事もないし。うーん😑現地に行って見ましたが住宅地で何もわからないままトボトボ帰ってきました。謎です。三嶋神社さんも昔は新田字宮にあったと由緒にはありますが、小字界図だと新田の隣にある宮ノ元にあったと思われるので、今の小字界図とは、境界が違うのかなあ。わかんない😞