竹原七郎平の勇気、戦の歴史を感じる。
彦根戦死士の墓の特徴
竹原七郎平が活躍した四境戦争の舞台です。
慶応2年の歴史を感じる特別な場所で、戦士たちを偲べます。
陣羽織姿の武士たちの記憶が息づく静かな墓地です。
慶応2年(1866年)6月14日未明、四境戦争芸州口の戦いが始まりました。幕府軍の彦根藩 竹原七郎平は従者2人と先陣を切って小瀬川を渡ろうとしましたが、長州軍の戢翼団(しゅうよくだん)の銃火を浴びて倒れました。戢翼団隊長の品川清兵衛は、3人の勇敢さを称え手厚く葬りました。隣りのお墓は米村英雄のもので、明治・大正期に海運業の発達に貢献した人です。
| 名前 |
彦根戦死士の墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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竹原七郎平は征長軍先鋒井伊勢の軍使として公儀の詰問状を掲げ、陣羽織・騎乗で長州勢に迫りましたが、武士身分以外を含む長州諸隊から、有無を言わさず銃撃されました。河原に漂着した遺体は直ちに実検に備えるため首を断たれましたが、長州の戢翼団隊長だった品川清兵衛が情報を得るため竹原の胴体を改めたところ御守りがあり、さらに中を開いたところ、女文字の手紙で「あなたの子どもは亡くなりました。手柄を立てて早く家に戻ってきてください」とあった。自分も子を亡くしたばかりの清兵衛は竹原の胸中を思い落涙し、安禅寺に依頼して丁重に葬りました。双方の子孫同士の交流もあるようです。