明智光秀公ゆかりの静寂。
桔梗塚の特徴
明智光秀の生存説が語り継がれる歴史的なスポットです。
背の高い木に囲まれ、静寂の中で心静かに参ることができます。
大河ドラマの影響で訪れる人が増えた、山県市の伝説の地です。
256号線のアンダーパスを通り抜けた先にあります。供養祭が定期的(4、12月)に行われているようで管理はしっかりされているみたい。
明智光秀生存説の墓と言うことですね。葬られ方がリアルで、何がしらの身分の人なのは間違いないリアルさが有りました。同じ一族として信じたいです。
大河ドラマ麒麟がくるを見てから機会があるごとに明智光秀公ゆかりの地を訪ねて来ましたが此処は本当に凄い場所です。光秀公は山崎の戦いの敗戦後、家臣が身代わりとなり生き延びて生まれ故郷のこの土地で暮らしていた。その伝承から今も地元の方が代々桔梗塚を守り続けてきて現代こうして訪れる事が出来ることに本当に感謝です🙏ガード手前に駐車場あり。
大河ドラマ『麒麟がくる』の放送も今は昔。あの時は2020年コロナ禍の真っ最中でした。ココ桔梗塚はその時の放送で知りました。以来ずっと来たいと思いながら果たせずようやく今回初訪問。史実の正否はともかく、この地の伝承はまさに歴史ロマンです。恥ずかしながら今頃感慨に浸りました。現地案内看板の通りこの場所は桔梗塚の他にも明智光秀公ゆかりのスポットが点在します。偶々誰も居らず独りだったので静かに歴史情緒に浸る散策が出来ました。尚、この場所は国道256号線に唐突に案内看板が現れるので要注意です。そこが国道との分岐点であり出入口となります。すぐに道が極端に心細くなりますが国道ガード下を潜る手前の未舗装スペースが駐車場らしいのでそこにクルマを置きます。もし通過してそのまま奥まで進むとクルマを停める場所が無いのでUターンするハメになります。尤も、奥まで進んでもクルマ1台分なら何とか停められそうですがどのみちUターンの方向転換が非常面倒なので御注意下さい。因みに現地案内看板によればこの地区は他にも光秀公ゆかりのスポットが点在。歴史好きな方ならこの地区の明智光秀公スポット巡りをなさってみてはいかがでしょうか。歴史情緒に加えて長閑な風景も非常に良いです。御参考まで。
明智光秀は山崎の合戦を生き延び、荒深小五郎としてこの辺りに住んでいたそう。駐車場までの道は一部狭い場所があるので、注意が必要。
日本史における重要な場所です。道路橋の看板が気になったので立ち寄ってみました。明智光秀公の出生から始まり最後はこの場所とのことです(諸説あり)もしお時間あるなら、寄る価値はあると思います。
ブームが去った今でも訪れる人がいるようです。この墓所は、明智光秀が生きていたという伝説に基づいています。その真偽は判断できませんが、地元の方々は、それを信じて大切にされています。伝説を残すだけ、明智光秀は偉大な人だったということは、よくわかりました。
本能寺の変後の山崎の合戦後で、明智光秀が生き延びたとされるスポットです。教科書通りの歴史であればありえないのですが、歴史は勝者(豊臣秀吉)によって描かれた時代でもあるので、一つの正史の歴史かもしれないかもという目線で見ると、また面白さがあります。山崎の合戦後、落ち延びてこの地に辿り着いた光秀は、荒深小五郎と名を変えて関ヶ原の戦いの折には、高齢となっていたのにも関わらず、かつて山崎の合戦の折に敵方だった豊臣勢(石田三成)に戦いを挑む為、東軍(徳川家康)の加勢をしようとしましたが、道中の根尾川で溺死した…とリアリティある文面で、本当の歴史は何なのか?と、色々と考えさせられます。大河ドラマ、『麒麟がくる』で話題にもなった同地ですが、2022年11月では手入れも滞ってる様子で何処か廃虚感もあります。自身は特にこういった場所に恐怖はありませんが、最近の歴女など女性1人では怖さを感じるかもしれませんので、女性の場合は複数人での訪問をお勧めします。が、戦国時代や中世の歴史、また明智光秀に関心がある方は、立ち寄られて良いと思います。もし文面が真実ならば光秀本人の余生と最期は、無念極まりなかったであろうと、墓石の前で手を合わせました。平日の昼間に訪れましたが他に訪れる方はなく、閑散としてました。夏場に訪れるならば、虫除けスプレーなどは必須かと思います。
明智光秀に興味や関心のある人は一度は立ち寄っても良いかもです。
| 名前 |
桔梗塚 |
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| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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(ききょうづか)・言い伝え山崎の戦い(秀吉との合戦)で討ち死にしたのは実は影武者で、明智光秀は中洞の地にひっそり住み続けこの地で亡くなった伝承がある中洞地区は明智光秀の生誕の地という言い伝えがある・実際には秀吉に敗れて逃走中に農民達に襲撃され、その場(京都の明智藪)で自害しました本能寺の変からわずか13日後の出来事でした生誕の地もハッキリとは確定してませんね阿弥陀堂にも行きたかったけど途中で道がなくなっていて断念でした(御神木手前の分岐を左に続く小道)