文豪たちの足跡、猫と共に。
森鴎外・夏目漱石住宅の特徴
明治時代らしい民家で、日向ぼっこも楽しめる居場所です。
森鴎外と夏目漱石が住んでいた歴史ある住宅がここにあります。
吾輩は猫であるの猫の置物が各所にあり、写真撮影にも最適です。
なかなか風情のある建物。内部を見て回っていると猫の声が聞こえてきます。
明治村にある「森鴎外・夏目漱石住宅」は、日本の近代文学を代表する二人の文豪が暮らした家です。建物自体は質素な木造の平屋ですが、同じ屋根の下で暮らしたという奇跡的な物語にとても惹かれました。漱石の小説『吾輩は猫である』にちなんでか、入り口近くには猫の置物がちょこんと座っていて、思わず笑顔になりました。
明治の文豪である森鷗外と夏目漱石が、相次いで借家した和風住宅名作が生み出された家が残ってるのは素敵です書斎に吾輩は猫の置物があり近づくとセンサーで漱石が語りかけてきましたw書斎の雰囲気も執筆や生活の面影家の中も見学できます縁側で猫とまったり風鈴の音を聴くのも良い気分。
犬山市の博物館明治村にある「森鷗外・夏目漱石住宅」は、明治時代を代表する二人の文豪が相次いで暮らした歴史的な建物です。明治20年(1887年)頃、医学士・中島襄吉の新居として東京・千駄木に建てられましたが、彼が住むことはなく空家となっていました。その後、明治23年(1890年)に森鷗外がこの家を借り、約1年間を過ごしました。鷗外はこの家で『文づかひ』などの小説を執筆し、文壇への足掛かりを築きました。さらに、明治36年(1903年)から明治39年(1906年)にかけて、夏目漱石がこの家に居住しました。漱石はここで『吾輩は猫である』を発表し、一躍文壇の注目を集めました。作品中には、この家の様子が詳細に描写されており、当時の生活を垣間見ることができます。建物は、田の字型の間取りを基本とした和風住宅でありながら、玄関脇の張り出した和室(応接兼書斎)や台所から座敷への中廊下など、近代住宅への萌芽が見られます。特に、南面に突き出した書斎は、後に洋間の応接室として独立していく形の先駆けとされています。この住宅は、昭和38年(1963年)に解体され、翌年の昭和39年(1964年)に明治村へ移築されました。現在では、登録有形文化財として保存・公開されており、訪れる人々は二人の文豪が執筆に励んだ空間を直接感じることができます。明治時代の文学と建築の融合を体感できるこの場所は、文学ファンや歴史愛好家にとって必見のスポットです。
明治の文豪である森鷗外と夏目漱石が相次いで借家したとされる和風住宅です。陽だまりで寛ぐ猫ちゃんにほっこりする人も多いですが、1887年頃に医学士中島襄吉の新居として建てられたものの、空家のままだったこの家は、1890年に森鷗外が借家して1年余りを過ごしたそうです。また明治村は様々な建築様式の登録有形文化財が数多く点在し、全て回りきろうと思うと1日では時間的にもスタミナ的にも厳しいものがあるので、あらかじめ周りたいスポットを下調べしてから臨むのが得策です。
この建物は当初は医学士中島裏吉の新居として建てられたものであるが、明治の文豪森鴎外と夏目漱石が時を隔てて借りた家である。島外は明治23年から1年半ほどこの家に住み、『文づかひ』などの小説を書いた。約3年住み、漱石が明治36年から約3年住み、『吾輩は猫である』を書いて文壇でその名を高めた。文中ではこの家の様子をよく描写している。住宅としては玄関脇の張り出した和室(書斎)、台所から座敷への中廊下は住宅の近代化の先駆けとみることができる。なお、漱石が住んでいた頃、書斎の東北陽に幅6尺・奥行3尺で西向きの押入があったことを示す痕跡が発見されたが、資料不足のため復元を行っていない。
明治村で好きな建物のひとつです「森鴎外・夏目漱石住宅」 明治20 (1887)年頃建築ここで鴎外が『文づかひ』、漱石が『吾輩は猫である』などを執筆したという。ふたりの文豪が住んだ由緒ある借家で、当時の典型的な中流住宅です。この日は見学者も少なく、書斎の縁側でしばらく寛がせて頂きました。
縁側で日向ぼっこができそうな明治時代らしい民家。家の中に上がることができます。まるで、テレビや映画のセットの様。天井が低いのは、当時の人が背が低いことを表しているのかも。
森鴎外と夏目漱石が仲が良いことは知っていましたが、一緒に住んでいたとは知りませんでした。実際に中に入って見れる施設はいいものです。昔の和風建築もいいなと感じました。
| 名前 |
森鴎外・夏目漱石住宅 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0568-67-0314 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:30~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
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文豪二人も前後して住んでいたこの場所に、思わずイギリスの「ブループラーク」を想起。歴史上有名な人物たちが住んだり働いたりした場所につける案内板で、実際漱石がロンドン留学時の下宿先にもブループラークが付けられてる。「明治中期のごくありふれた建坪39坪(129.5m)余りのこの建物は、明治20年(1887)頃、医学博士中島襄吉の新居として建てられたものであるが、空家のままであったのを、明治23年森鴎外が借家、一年余りを過ごした。又、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいた。鴎外は、ここに移り住む同じ年の1月、処女作小説『舞姫』を発表、この家では『文づかひ』等の小説を執筆し、文壇に入っていった。その後数々の作品を残し、明治の文豪の一人に挙げられるが、本業は陸軍の軍医。一方、約10年遅れてこの家に住んだ漱石は、ここで『吾輩は猫である』を発表、文壇にその名を高めた。文中に描写された家の様子は、よくとの家の姿を写している」(『博物館明治村ガイドブック』名古屋鉄道、1985)。