滋賀のへそ石、探求する価値。
へそ石(伝保良宮跡)の特徴
滋賀県南部の山中にあるへそ石は大きな石です。
探すのがちょっと難しいが、歴史深い史跡です。
実際に使用された痕跡は不明ですが魅力的です。
探すのが、ちょっと難しいです。
礎石であることは間違いないだろうけど、実際に使われていたのかわからない。他に建物の痕跡が一切見つかっていないのだそうです。隣の山は石切り場だったらしく、重すぎて運べなかったのか、失敗作が転がって落ちたのか・・。
| 名前 |
へそ石(伝保良宮跡) |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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滋賀県南部の山中に「へそ石」という大きな石があります。へそと言うだけあって、平たい部分に凹みがあるのですが、この石が宮殿の柱の礎石だという伝承があります。ちょうど石は傾いて埋まっており、平らな部分が上面、凹みが柱のダボを入れる部分になります。同じサイズ、形状の物が大津京跡地から出てきてますから、確かに宮殿の礎石なのでしょう。今は住宅地の一角になっていますが、このへそ石のあたりが「保良宮」という離宮があったと言われている場所です。保良宮は奈良時代に天武天皇の子である淳仁天皇が759年に置いた副都で、またの名を「北京」「保良京」とも呼ばれた都、現代では「何故こんな場所に都を置いたのか?」と思う山際の住宅地です。ですが、住宅地を抜けた所にある「国分」という地区は名前のとおり奈良時代に「近江国分寺」のあった場所になります。また瀬田川の対岸には近江国衙遺跡(昔の県庁ようなもの)もあり、淳仁天皇の時代には近江の中心地、権力者の藤原仲麻呂の地盤だった場所になります。また「保良宮」の「ほら」には「まほらば」と同じ「素晴らしい場所」という意味もありますし、副都を置けるほどに繁栄していたことでしょう。ただ、この淳仁天皇は藤原仲麻呂に擁立され、藤原仲麻呂の反乱にあわせて失脚し淡路島に流されました。そのため明治時代まで単に「淡路廃帝」と呼ばれていたような存在ですから、副都の遺産で現代まで残ったのはたった1つ、この宮殿の礎石のへそ石だけになってしまったのでしょう。