真田家の歴史を感じる。
真田氏歴史館の特徴
真田一族の歴史を深く知ることができる資料館です。
真田太平記の展示品が多く、歴史好きにはたまらない場所です。
入館料250円で真田家関連の貴重な資料を楽しめます。
2024.10.4来訪しました。貴重な展示物が多数ありますが、全体的にこじんまりとしています。丁寧に見ても30分くらいで見終えるので、時間がない方でも、大丈夫かと思います。
真田一族の歴史や想いに触れる事ができる場所。江戸や尾張、大阪から遠く離れたこの地が歴史を揺るがす舞台となり、知略と勇気に傑出した人物を育んだ地域であったことを知ることができる、唯一無二の歴史館。真田一族にゆかりのある、近隣のお寺や神社、墓所や城跡も巡ると、一層気持ちが高鳴ります。
真田氏歴史館滋野氏→海野氏→実田(真田)氏の流れが詳しく解ります。普段は絶対に観る事が出来ない特別展示、信綱寺所蔵「信綱の血染めの陣羽織」を拝見する事が出来ました。
ここは片田舎の土豪に過ぎなかった真田幸隆が武田信玄に仕えて、目ざましい戦功をたてた幸隆の生地。5人の子供に恵まれたが、一男、二男が「長篠の戦い」で戦死!三男の昌幸が家督を継ぐ。なんと彼は情勢に応じて1年間で、織田・北条・徳川と主君を変えて地位を不動のものとしている!?.........また昌幸の二男が 真田幸村!高野山配流とは?慶長5年(1600) 家康は上杉景勝を討伐する軍を起こした。 真田昌幸・幸村父子は徳川軍に従っていたが、下野 犬伏 (栃木県佐野市)で石田三成から石田方 (豊臣秀頼方) へ加わるようにとの密書が届き、 父子は協議した末に、昌幸と幸村は豊臣方へ、 長男信之は徳川方へ付くことになる。そこで父子、兄弟は犬伏 で訣別することになる!これが世に言う「犬伏の別れ」である。それにしても、戦国時代は非情なもので親子兄弟は縁を切ってまで争っていたものである..........。上田城に戻った昌幸は、関ヶ原に向かう徳川秀忠の大軍の進路をはばみ (第二次上田合戦)、秀忠 の関ヶ原到着を遅らせたが、 結果は石田方の大敗 となり、家康の命により昌幸・幸村は高野山(九度 山)に流されるのである。その後、真田幸村は大阪夏の陣で家康本陣に肉迫するが戦死(49歳没)を遂げる!真田家の家紋が六文銭?三途の川の渡し賃で武士が戦いに挑んでは生きて帰れぬものという強い意志を表している!慶長16年(1611) 昌幸は和歌山県九度山で波瀾に 富んだ生涯を閉じ享年65才、 智勇兼ねそなえた名将であったという。一方、昌幸の長男信之は徳川方に付いた為に真田家は松代に移って絶えずに存続できている.....。彼はなんと93歳で没している!
真田氏館の横にあります。入館料は大人250円です。駐車場は公園の周りに結構あるので止めやすいかと思います。中は小さいですが真田氏ゆかりの物があり興味深く見れました。
入り口付近に展示してあるものを除いて館内は撮影禁止になっています。館内は比較的こじんまりとしていますが、その中でも展示されていたものは見応えがあったように思います。ここでもやはり、少なくとも真田氏に関する歴史に造詣があればもっと展示物を見て感じるものや思うものが違ってくるのかなあ…と言うのはありましたが、それでもにわかな自分でも楽しめたので良かったと思います。
比較的空いていてこじんまりとしていますが200円の入場料で、パンフレットとシールも頂ける上に展示内容が充実していてとても勉強になりました。真田館あとに隣接していて便利です。上田城築城前まで真田氏の本城や周囲の支城が周辺にたくさんあり古を忍ばせてくれる良い場所でした。
バス駐車場 及び マイカーの駐車場 が 無料 で 多数停めれます❗入場料は250円❗『真田丸』では 無くて『真田太平記』放映の時の記念館のようですネ😌草苅正雄 さん が 両方(太平記では真田幸村、真田丸では 真田昌幸 役)で出演されています❗展示内は 撮影 禁止でした😉
真田家のことが良くわかる資料館です。入館料250円かかりますが館内資料を見れば納得です!
名前 |
真田氏歴史館 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0268-72-4344 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

こちらは上田城や博物館と比べてしまうと小規模ですが…拝観料も安いので行ったら行ったで楽しめました!!ただ山頂の方に行くので行くまでがちょっと大変かもですw