行田市の歴史を感じる、野氷川神社。
氷川神社の特徴
昔ながらの雰囲気が漂う、行田市の氷川神社です。
隣接する公園での散策も楽しめるロケーションが魅力です。
駐車場完備なので、訪れやすい環境が整っています。
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昔ながらの、公園と隣り合った神社。社殿に向かって左に御嶽神社。右に公園。
駐車場あります。
名前 |
氷川神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
4.3 |
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野氷川神社(のひかわじんじゃ)御祭神 素盞嗚尊由緒野村 氷川社 村の鎮守なり社内に元和二年(1616)再建の棟札あり(「新編武蔵風土記稿」参照)行田市野は、元荒川の左岸に広がる農業地帯です。この元荒川は、寛永六年(1629)に関東郡代伊奈半十郎忠道が河川改修を行うまでは、荒川の本流でした。それまでの荒川といえば、その名が示す通りの暴れ川で、四年に一度は必ず氾濫していたといわれています。こうした度々の災害に困窮した村人たちが、川の神様であるという氷川様を祀り、川が荒れないように願ったのが当神社の創建であると伝えられています。境内にある「氷川神社の碑」の碑文によると、それは天文年間(1532~1555)のこととされています。御祭神は素盞嗚尊で、本殿は「風土記稿」に載る「元和二年(1616)再建」のものと思われ、美しい彫刻が施されています。当神社は元来、野村全体の鎮守ではなく、その一耕地である原組の鎮守で、ほかの耕地では各々の鎮守を祀っていました。ところが、明治四十一年(1908)の合祀により、周りの耕地の鎮守であった天神社・八幡社・新明社・諏訪神社を合祀したことから、村鎮守として祀られるようになりました。ただし、合祀した諸社の社殿はそのまま旧地に残され、今もそれぞれの耕地の人々の手で祭りが続けられています。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」参照)行田市指定無形民俗文化財「野の獅子舞」野のささら獅子舞は、野地区に伝わる民俗芸能です。五穀豊穣、疫病退散、天下泰平、家内安全を祈願して、久伊豆神社、諏訪神社、聖天様(満願寺)、氷川神社などに奉納されています。毎年十月下旬に実施され、野の久伊豆神社から氷川神社まで一日かけて回り、各寺社で演舞しています。起源は不詳ですが、確認されている最も古い記録には、諏訪大明神の「祭礼入用覚帳」の中で江戸時代後半の文政四年(1821)に「簓(ささら)」という言葉が記載されていて、言い伝えでは約三百年位前から始まったと言われています。獅子は太夫獅子、雄獅子、雌獅子の三匹獅子舞で、他に先達(法螺貝)、幣束、万灯、面化、歌、笛、獅子、花籠などで構成されています。ひとり立ち三頭のささら獅子舞とよばれ、獅子は腹に太鼓を結わえて叩きながら舞い、そこに四人の花籠がささらを持って舞いに加わります。曲目は「雌獅子隠し」で、三頭の獅子が花籠の周りを舞っているうちに雌獅子が隠れてしまいます。太夫獅子と雄獅子が探し回り、一方が先に見つけて楽しく遊び始めます。それを見た一方の獅子が怒って争いを始めるという筋書きです。一曲形式で勇壮な舞に特色があります。(行田市公式HP「指定文化財等 野の獅子舞」参照)